2009年7月22日に赴任先の中国広東省観蘭市で見られた食分0.9の日食です。
少し雲が増え始めた晴れた日でしたが、辺りは薄暗くなって重なる雲は闇色に変わります。
木の葉の間からの木漏れ日が三日月形になると聞いていたので、見ていましたが暗くなるにつれ形が定まる事も無く木漏れ日は消えてしまって、確認するどころではありませんでした。
食分0.9(太陽の陰る部分が9割)の急激に失われる世界の暗さと、不安を煽る空模様に闇に飲まれて行く太陽なんて、何の気象知識が無い古代の人々にとっては凶兆以外の何者でもなかった事でしょう。
食分0.9で不安を抱かせるのに、食分1(陰り100%日食)のダイヤモンドリングが見える金環日食でなくて、全てが暗闇に覆われる皆既日食なら、古代人には嘆き悲しみ懺悔するくらい堪らない事で、太陽神の天照が天の岩戸に隠れてしまうという神話の根幹になるのも解ります。
日蝕み(ひはみ)という蟲が日食の時に空へ上がって、日食を過ぎても太陽を隠して暗いままにさせるという物語を観た事が有ります。
ですが、太陽は非常に遠方に在るので太陽光線は平行に注がれていて、太陽光線を遮る物体の大きさ以上に広い影は出来ません。
なので、蟲が高度二万メートルで見かけの大きさの太陽を円状に隠したとしても、小さな範囲しか日光を遮れないという事になります。
村を暗くするには村の広さで、町なら町全体を覆うくらいの雲のような大きさが必要ですし、太陽の周りの青空も広範囲に隠さなければならないです。
地域一帯を闇にするのならば、大雪を齎すヘビーな雪雲のように分厚いダークカラーの曇り空でしょうか。
ですが、蟲がピンポイント的に陽の光を遮る暗い場所と、日蝕み以外の明るく照らされる暖かい場所の対比は差別的でもあり、「日蝕み:ひはみ」は「ひがみ」とも読み、用いられる意味は「僻み:ひがみ」と同じです。
僻みは、「妬み:ねたみ」「嫉妬」の素直でない捻くれた被害者意識の思い込みで、古代中国の人々は世界が日食で翳るのを見て、自分や村に陽が当たらなくなるのは、「日蝕み」という蟲が照らされるべき自分への光を遮ってボッチにするからだと考えたのかも知れません。
日食の現象をジェラシーへ結び付けるなんて、哲学的です。
……ホントかどうか知んないけど……。