桂林市近郊の町から大型観光バスに乗って天空の田園で知られる龍勝(ロン・シャン)各族自治県の龍背(ロン・ジイ)・平安壮族梯田(ピン・アン・チュアン・ズー・ティ・ティアン)を目指します。
少数民族の壮族は日本語でチワン族と記述されています。
数時間、山道の登り下りを繰り返して着いたのが、谷底の川原に造られた大型バスが二、三十台ほど停まれる駐車場でした。
ここで大型バスからマイクロバスに乗り換えて対岸の断崖の頂へ向かいます。
対向車と擦れ違えないような狭い道を揺られて着いた頂には、乗降用の駐車場と飲食可能な休息家屋に観景区に入るゲートが有りました。
龍背と書かれたゲートから先はバックパックを背負ってのトレッキング(歩き)です。
山門のようなゲートからは緊急車両や商業車及び工事用車両のみの通行で、一般車両は入れません。
ゲートから数百メートルは狭い道沿いに土産物屋が軒を連ねて、いろいろな民芸品を売っていて見て回るだけでも面白いです。
景観保全の歩行専用の道路ですが、物品納入の小型トラックがしばしばスピードを出して行き来し、観光客の間をスレスレに通過するので安心し切って歩いていると怪我をしてしまいます。
歩くこと一時間余り、ようやく登り道の先の棚田の上に木造ロッジ風の建物が見え出したと思ったら、次々と同じ様な建物が現れて、とうとう天空の民宿村に到着です。
天空の棚田に囲まれる天空の民宿村、その景観に驚愕です。
それは、幻惑ミステリ『夜宵』のカバーイラストに六七質(むなしち)氏が描いた細蟹の町のように複雑怪奇で、沢沿いの両側の斜面に広がる村の中は、まるで立体迷路のような通路が入り組んで、昼間でも帰り道が分からなくなるほどでした。
もしかして、ここをモデルに描いているのかな?
それとも、台湾北部の九份(ジョウ・フェン)の町をモデルにされているのでしょうか?
訪れたのが五月の連休だったので宿泊客はとても多く、夜は夜店だらけの賑やかさを鳴り響く爆竹が煽り、勇壮な民族舞踏の催しに集う人達が流れる土産屋や居酒屋は深夜まで騒がしく営業していました。
日本ならば闇に魑魅魍魎が潜んでいそうなラビリンス・ビレッジですが、そんな雰囲気は微塵も無かったですね。
宿は木造三階または四階建てで、基礎を兼ねる一階はコンクリートか石組みのしっかりした造りです。
農作業用の納屋になる一階は宿泊客の目に触れないようにされていて、二階以上の上階が食堂と宿泊施設及び住まいになっています。
幅が狭くて段数が多い水田の耕作は全て人力のようで、トラクターや耕運機の機械類、それと牛や馬も見掛けませんでした。
野菜は村の中や周囲に栽培されてましたが、それだけでは足りないと思われるので、棚田の視界から外れる場所にも在るのでしょう。
泊まったのは『龍背麓晴賓館』で、賓館(中国語で高級ホテルの意)となっていますが、ホテル形式の民宿ですね。
水洗トイレ、温水シャワー、ベッドが完備された綺麗で清潔な部屋でした。
(亜熱帯の高地ですが、五月初めの朝晩は寒く、八月でも涼しいそうでエアコンは部屋に付いていません)
食事に、竹筒の中へ仕込んだ食材を詰めて蒸し焼きにする郷土料理は、残念ながら注文しませんでしたが、食べた地鶏、山菜、川魚、そして棚田の白米と桂林米粉麺は、とても美味しかったです。
鶏は放し飼いされてますが、川魚は遥々谷底の生け簀まで獲りに行くんでしょうし、そして知らないけれど、龍背の棚田米にはブランド名が有るのでしょう。
この日、外国人は白人を三、四人見掛けましたが、日本人は私一人だけみたいでした。
この平安村のような天空の棚田に囲まれた村は他にも幾つか在るようで、それぞれの少数民族が営んでいます。
辺りの植生は日本と同じで、僅か一泊だけでしたが郷愁の想いと感動の天空の民宿村でした。
機会が有れば再び訪れたいものです。