以前、赴任先のシンセンの工場で「貴重な酒が手に入った」と同僚からいただいた白酒『百年孤独』と、愛飲している麦焼酎『百年の孤独』の比較フォトです。
並べて比較すると一目瞭然ですが、単品だと、知らない人は中国でも『百年の孤独』を販売しているのかと買ってしまうみたいです。
『百年孤独』という名前とパッケージの大きさが違うので、パクリやモドキとは言い切れないのですが、思い込みで購入しそうなネーミングと『百年の孤独』に似せた緻密なパッケージデザインは他社の白酒に無い高級感で、情報不足の初心者やマニア層の購買欲を誘う狙いが有ると思われます。
『百年孤独』の中身は中国の白酒で、『百年の孤独』の味とは趣向に違いがあります。
白酒の『百年孤独』の製造元は、『百年の孤独』とは別の違うオリジナルだと言い張っていますが、中国で高級感を印象付けるパッケージは、もっとカラフル(赤と黄)でハデハデ(金と銀)にしなければならないので、ネームバリューが無ければシックな装いにしないですね。
『百年の孤独』の名は、とある一族の村の創設から隆盛と衰退を経て滅亡に至る百年間を綴った、コロンビアのノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケスの長編小説の題名から付けられているそうですが、まだ読んでいません。
中国では高校の授業でノーベル賞と共に習うので『百年孤独』の名を多くの人が知っていて、小説愛好家なら大抵は読んでいますが、それでも白酒の『百年孤独』は小説絡みじゃなさそうかな。
麦焼酎『百年の孤独』の店頭販売は特約店のみですが、少ない数量の為に購入は抽選になっています。
このアルコール40%の麦焼酎は年季の入ったウイスキーの味わいですが、けっしてネームの百年も熟成をしているわけではなく、原酒が長期間貯蔵の熟成で素晴らしく絶妙な味わいの麦焼酎になったのは、創業以来の受け継がれた百余年の伝統技術の賜物という意味の百年なのです。
(これからもずっと技術が受け継がれて、『百五十年の孤独』や『二百年の孤独』と、小説の絡み以上の孤高の味わいになって行く事を願っています)
オリジナルの外箱のフタの綴じシロに、ジャズのプレーヤー『ERIC DOLPHY』の言葉が印刷されています。
『When you hear music, after it's over, it's gone in the air.You can never capture it again』
『あなたが聴いたあと、音楽は彼方へ消え去って、二度とは触れられないのです』
『曲と歌は消えてしまう。例え録音しても、その曲を初めて聴いた瞬間は、一度しか訪れない。その一瞬が全てだ!』
今の一瞬、一瞬を大切にして下さい…、そんな一期一会の意味なのでしょう。
白酒『百年孤独』のパッケージの説明文には孤高の酔い加減と、イギリスに永久割譲された香港やポルトガルに統治されたマカオの返還を百年に絡ませていますから、出逢いの想いや興亡の精神は無いのかも知れません。
『百年の孤独』の香りに触れる瞬間に、唇を濡らす一瞬に、「これは焼酎なのか?」と疑わせる衝撃は、『百年孤独』の「白酒じゃんか!」と感じさせるのとは、大きな隔たりが有りますね。
私的にオリジナルは、オンザロックで飲むのが最高で、偶に真冬のスキー場の天辺で、ザラメの新雪にマブして齧る『百年の孤独』と、雪雲の切れ間から差し込む陽射しで温まってます。