遥乃陽 diary

日々のモノトニィとバラエティ

世の中は感動と憂いに満ちている。シックスセンスが欲しい!

立戸の浜(石川県鳳珠郡穴水町沖波)

中学校からの友人達と能登半島一週を目指した高校二年の夏の自転車ツーリングは、雨に祟られた初日に七尾市の銭湯で濡れて冷えた身体を温めても、穴水町乙ヶ崎のお寺で親切に泊めて貰っても、雨の中の走行で下がったモチベーションは回復しないままに金沢市から輪島市を経て門前町へと、海岸線を先端の禄剛崎へは向かわずに峠を越えて日本海側の外浦から金沢へ戻ってしまい、能登半島の半周だけで挫折していました。

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そのリベンジに高校三年で再び集って決行した三泊四日の自転車ツーリングは、天候に恵まれて初日は金沢市から輪島市の曽々木海岸まで行ってテント泊。

二日目は前回に断念した禄剛崎狼煙を巡り、富山湾、七尾湾の内浦を海岸線沿いに気持ち良く先へ先へと走っていましたが、見過ごしたのか、ルートを間違えたのか、キャンプ場を見付けられないまま、日没後の夕闇が迫る中、道路際の場所も名も知らない砂浜に急ぎテントを張りました。

そこで晩飯に何を食べたのかも覚えていませんが、対岸の能登島と道路沿いの疎らな民家や街灯の小さな灯りに満天の星空だけの真っ暗な海を、珠洲市の蛸島と穴水町へ向かう線路の音を遠くに聞きながら真っ裸で泳いでいたのを、ぼんやりと記憶しています。

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日の出直後の肌寒さに目覚めた翌朝は火を焚いて温まろうとテントから這い出た目に、朝の鋭い陽射しをキラキラと反射して輝く水面が飛び込んで来ました。

凪いで平らに広がった水面は波音もせず、近寄ると触れるのが怖いくらいに透明で、水底の硬い砂地に刻まれた波の文様がはっきり見えます。

渚に厚く打ち上げられて枯れた海草を踏み越え、千切れて流されたホンダワラやモズクが波打ち際に太い海蛇のように巻く中へ、気味悪がりながら爪先を入れた海水は何処かで湧水しているのかと思うほど冷たくて、びっくりでした。

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それでも浸かれるくらいの深さまで行って潜ると、自分が立てた漣で透過する陽射しの帯の揺らぐ下に、波紋を刻まれた遠浅の白くて平らな海底が何処までも広がり、彼方の深みだけが近付くのを拒むように黒ずんでいました。

美しくて、穏やかで、静寂で、そして、誰もいない透明な海。

それまで見た事もない綺麗な海と浜に、すっかり魅了されて一遍に気に入ってしまいました。

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二百メートルもない小さな浜の名は、近くのバス停に「立戸ノ浜」と示されていましたが、その読みが「りっと」や「たちど」など、正確には分からなくて、「たっとのはま」だと知ったのはずっと後の事でした。

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お陰で、その日は快晴プラス早朝からの気分の良さで一気に外浦の羽咋市柴垣のキャンプ場まで走る事ができ、翌日も強くインプリンティングされた透明な気持ちに疲労感も無く、無事に金沢へ帰り着けました。

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以後、数年置きに訪れている「立戸の浜」ですが、いつの間にか、シャワー室や更衣室が並び、遠浅の海もフロート付きロープで仕切られて海水浴場として整備されましたが、諸橋ダムが出来てトヤン高原の土砂が流れ込まなくなった所為か、潮流の変化や海面上昇していたのか、一時は道路間際まで渚が迫って来て海水浴場にならない危険な状態でした。

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砂浜流失対策として、ちょっと沖に離岸堤が二つ並べて設置されて砂浜と遠浅は戻りましたが、ごつごつした暗い壁のような離岸堤は対岸の能登島の北端風景を隠してしまい、差し込む光線具合も変化して景観を悪くしています。

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離岸流や砂の体積密度も変わったみたいで、水底の砂地が以前より固くなった気がします。

現在は砂の溜まりが加速しているようで、遠浅が初めて泳いだ時の三分の二以下に短くなって来ていています。

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このままでは十年を待たずに離岸堤と砂州で繋がりそうで、砂州ができないように堤上部の消波ブロックを取り除いて、景観も戻る海面下の人口リーフタイプにすればと考えるのですが、効果と安定は施工してみないと分からないですね。

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薄っすらと灰色に砂鉄が混じってそうな浜辺の白い砂は、千里浜の砂よりも細かくて濡れた波打ち際まで車を進めてもタイヤが沈みません。

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背景の岬に見える富士山のような形の山は、頂上が平らに整地されて古代から加夫刀比古神社(カブトヒコ)神社が鎮座する標高67mの円山(まるやま)です。

今は円山と表記されていますが、近代までシルエットが兜や甲(こう)の形に見える事から甲山(かぶとやま)と呼ばれていて、周辺の地名も穴水町甲地区と戦闘的です。

能登が越後武将の支配下だった戦国時代には、円山の近くに砦規模の甲山城が在った遺構と記録が有るので、地域の戦略的要衝だったのでしょう。

タブノキが多い鎮守の森を含め、円山の岬全体の森が魚介類の繁殖と保護を目的とする魚付き保安林に指定されていて、伐採や開発は制限されています。

この辺りのランドマークとしてはトヤン高原の二子山(181m)が高いのですが、形的に円山が目立っています。

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PS:

能登半島一周から戻った数日後に文通していた片想いの人から書中見舞いの葉書が届きました。

五年も文通していて初めて届いた書中見舞いの差し出し住所は、鳳珠郡穴水町明千寺。

直ぐに地図で場所を調べると、あの透明な遠浅の海の近くです。

そこは自転車ツーリングでテントを張る場所を探す黄昏時に、想いの人がいる明千寺の直ぐ近くを通っていたのでした。

裏面に描かれた自筆のイラストを一目見て愛車のホワイトダックスを全速で走らせて能登へ向かいました。

茹るような炎天下、翌檜の森が広がるトヤン高原をどうにか抜けて辿り着いた明千寺の町は、租庸調の古に創建された古刹「明泉寺」が在る小さな集落でした。

喉の渇きを癒そうと何気に立ち寄った門前の雑貨屋で、偶然にも想い人がいるのを見て、心構えの出来ていない不意の出逢いに挨拶も無しで逃げてしまいました。

逃げた不甲斐無さを悔やみ、会いに戻るべきか悩んだ場所が「立戸の浜」です。

甚だしいシャイさに結局、会いには戻らずに帰ってしまい、後悔だけが残ってしまった文通相手でした。

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