遥乃陽 diary

日々のモノトニィとバラエティ

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板ヶ谷町八幡神社のスギ(金沢市板ヶ谷町)

金沢市内から県道10号線を山間の湯涌温泉へ向けて進みますが、湯涌温泉には至らずに上流の橋を渡り、大杉少彦名神社や浅の川温泉『湯楽』を過ぎて板ヶ谷集落の湯涌板ヶ谷温泉『山下屋銭がめ』前まで行くと、その道路向かいの山際に板ヶ谷八幡神社が在り、神社の鳥居正面左脇に四株が合体した杉の巨木『八幡スギ』が聳え立っています。

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境内には他に二株の大杉が植わっていて、いずれも神木とされ、合体杉と共に樹齢八百年、樹高が38m、四つに幹分かれしたようにも見える四株の合体杉の幹周りは11.6mと、合体大杉脇の立て札に記されています。f:id:shannon-wakky:20150828071625j:plainf:id:shannon-wakky:20150828071638j:plain

神木の三株の大杉は金沢市指定天然記念物になっています。

他にも三本の杉と太い銀杏の木が植わっています。f:id:shannon-wakky:20150828071656j:plain

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鳥居へ近付くにつれて圧倒される合体杉の大きさは、否応に畏敬の念を抱いてしまいます。

鳥居を潜って境内に入ると、其処は真っ直ぐに伸びる太い杉の幹と頭上を覆う杉の枝振りが鬱蒼として、まるで異世界へ誘う異空間のようで、その不思議な感じは背中に戦慄を走らせました。

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社裏の白いコンクリート壁は、2008年の土石流被害で改修された板ヶ谷3号防砂堰堤です。

八幡神社の社奥に鎮守の杜は無く、祀るのは背後の狭隘な二つの渓流と急峻な三つの山並みなので、山と沢の気を鎮める治山治水の神社なのです。

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神社前の道路を更に山奥へと進むと、砕石場と横谷集落を過ぎて富山県境の刀利峠へ出ます。

ここを左へ折れると横谷峠を越えて富山県小矢部市福光町へ至り、峠を下れば刀利ダムへ行けます。f:id:shannon-wakky:20150828072500j:plainf:id:shannon-wakky:20150828072800j:plain

ダムを渡って左へ向かうと小矢部川沿いに福光町へ、右のダム脇の岩盤を潜るトンネルを抜ければ、ダム湖沿いを通ってブナオ峠を越え、富山県五箇山の合掌集落に至ります。

この五箇山へ至る道は、刀利ダムの建設に伴って造られた道路で、以前はダム湖に水没した道しか在りませんでした。

灌漑用と洪水調整および水力発電を目的に1967年に農林省が建設したドーム型アーチ式の刀利ダムによって、下刀利と上刀利と瀧谷の3村は水深50mのダム底に水没し、源流域の水没を免れた中河内と下小屋の2村も無人となって荒廃しました。

小矢部川源流の周囲を急勾配の山で囲まれる刀利の地は、刀利ダムが建設された『のぞき』と言われた川の両側に切り立つ岩盤で狭められた急峻な渓流によって、外界から隔離された秘境でした。

集落地は平坦で耕地も広く、林業と製炭も盛んで人々の営みは秘境地ながら比較的裕福だったようです。

刀利地区は加賀藩の戦略的重要地帯の一部でしたが、ブナオ峠越えの街道は加賀の金沢地域や越中の高岡地域と尾張を往来する最短コースで人の往来が多く、倉谷、刀利、湯涌の各地区には戦国期から藩政期まで遊郭を運営していた集落も在り、かなりの賑わいだったと伝えられています。

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水没した集落の神社には縄文時代の物らしい石棒が祀られていたそうなので、越国(こしのくに)の古から人が住まうに適した地だったのでしょう。

縄文の古代から平安期まで採石や採鉱で、鎌倉期から藩政初期まで金の採掘に絡んで、戦国期後半から藩政期は塩硝の運搬路と尾張への街道として刀利地区は栄えていました。

中世以降、犀川源流の倉谷鉱山地区と塩硝生産の五箇山地域に物流交易筋の刀利地区と湯涌地区は、金と火薬を生産する最重要の戦略地帯だったのです。

最重要地帯内の各集落を結ぶ間道は縦横に張り巡らされ、物流や交流は頻繁でした。

厳重に外界からの往来と交流を管理・監視した多くの城や砦の跡が塩硝街道沿いに存在します。

板ヶ谷の八幡神社が造営される以前、この地に関所と陣屋が在り、刀利地区と湯涌地区を往来する人達を厳しく吟味していた事でしょう。f:id:shannon-wakky:20150828072629j:plain

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加賀藩直轄事業の塩硝(加賀藩表記/煙硝)密造について:

五箇山地域で独自の培養方法にて製造された塩硝を金沢市郊外の湯涌街道と倉谷街道が最接近する土清水村の塩硝蔵(涌波一丁目)へ運び、立山の硫黄とハンノキの木炭粉と混ぜ合わせて合薬精製され、加賀藩の重要な軍事物資で外貨収入を得る経済的な専売商品の良質な黒色火薬にされました。

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神木の杉は治水で植えられたのか、自然と芽吹いたのか分かりませんが、芽吹いた鎌倉期の始まりから現在まで800年、更にあと2000年は育って、人の100歳くらいの樹齢まで枯れないなら、大杉の1秒は人の30秒くらいで、人の30年は大杉の1年という感覚なのかも知れず、それに地下に広がる根で神木達はコミュニケートして境内にいる私を認識しているのかもと、空の光を遮る神秘的な大杉の枝振りを見上げながら考えていました。

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板ヶ谷防砂堰の全壊:

八幡神社の背後に有る砂防堰は2008年7月28日の朝に堰面を越えての土石流により破損しました。

1時間に138mmもの極めて激しい豪雨量によって二つの急峻な奥谷から発生した土石流は、既に土砂で満杯状態の板が谷3号堰堤を容易く超えて排水路を埋め尽くして溢れながら板ヶ谷川へ流れ落ち、ほぼ同時刻に板ヶ谷川源流沢で発生した土石流は、少し上流地の板ヶ谷川と県境の山間からの横谷川が合流する砕石場脇に在る板ヶ谷2号堰堤を削るように全壊させていました。

この二つの土石流の流入により、板ヶ谷川の水位は一気に増加します。

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危険域に増水した水位は津波のように医王山川との合流部を浚い、浅野川(湯の川)に合流直後の湯涌保育園横の堤防を押し流して一帯を冠水させました。

その頃、浅野川上流の玉泉湖の排水路が道路面を押し上げるほどに流木類が塞いでしまった為、玉泉湖は氾濫して湯涌温泉街を泥水で溢れさせていました。

急激に増加した水位は湯涌街道沿いの流域の田畑や護岸提を抉り、金沢市内の天神橋付近の氾濫危険水位を1m30cmもオーバーして護岸を超えた濁流は、天神橋から下流のJR北陸線辺りまでの広範囲な市街地に浸水被害を与えました。

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天神橋の水位が危険域に達する前に、小立野台地を潜るトンネル放水路で浅野川から犀川への分流が行われましたが、犀川も市街地で避難判断水位を上回ってしまい、浅野川からの放水量の制限に至りました。

板ヶ谷集落の家屋は、流失全壊は町内会長宅の1軒だけでしたが、半壊が2軒、そして殆どの家屋が浸水と土砂の流入の被害に遭っています。

早朝から雨量と板ヶ谷川の流量の異変に気付いた住民達は、集落全員が協力しあって早期に高台へ避難をしていた御蔭で、人的被害は有りませんでした。

洪水被害に遭った湯涌温泉街や金沢市街地でも人的被害は有りませんでしたが、板ヶ谷の2号堰堤の全壊や土石流が大量に3号堰堤を越える事が無ければ、浅野川流域の堤防流失や金沢市街地への浸水は無かったのではないかと考えます。

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大杉が聳える板ヶ谷の八幡神社は3号堰堤の直ぐ脇に在りますが、社や境内に被害は無く、土砂が板ヶ谷集落の家屋や温泉宿の『銭がめ』を直撃せずに水路へと向かったのと、これ程の水害にも係わらず、人命を失う被害が無かった事は、八幡神社の鎮守の加護に守られたと信じたいです。

昨今、100mm越えの集中豪雨が当たり前の様になっていて、想定外では済まされない状況です。

以前の砂防ダムは1933年(昭和8年)の築造で、それまで最大の1時間77mmの雨量には耐えて来ていました。

全壊前の板ヶ谷地区の砂防堰の土砂堆積量がどのくらいだったか、浚渫が必要だったのか、堰堤壁を強化すべきだったのか、分かりませんが、想定以上の雨量でも人的被害が発生しない様に各河川上流の防災施設の補修・改修管理の徹底を願いたいです。

神は利発で良く学ぶ者を加護してくれます。

くれぐれも神木の大杉が災害によつて倒れたり、流失しない様にして貰いたいものです。

尚、犀川には浅野川からの放水路の上流5.5kmに洪水調整目的で、高さ51mの重力式コンクリートダムの辰巳ダムが2012年に完成していて、浅野川の水を放水路全開で分流し続けても金沢市街地の犀川水位を危険域にしないと考えられています。

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金沢市の河川の増水被害と行政管理の人災といえば:

1991年9月20日(金曜日)、犀川峡金沢温泉『滝亭』横の犀川河川敷きと川原へ遠足で来ていた南小立野小学校の3年生児童118人と引率の先生方が上流の上寺津ダムの放水による水害に遭っています。

昼食を終えて休息していた午後2時頃、川原に剥き出しになっていた石が見る見る水没して行く様に、悲鳴を上げて岸へ逃れる間も無く、児童の腰まで水位は上昇しました。

リュックに水筒、靴や帽子など、持ち物の大半が流失する中、児童達は互いに手を繋いで水底の石に躓きながらも岸へ上がり、先生達は手を繋ぎ損ねて流され出す児童に駆け寄っては、両脇に抱えて救出しました。

それでも30人余りの児童と先生が中州に残され、児童の首まで迫る濁流の中、腕を組んで固まり、その上流と下流を先生が支えて守って耐えているのを、児童達の被災に気付いた滝亭や付近の人達と、通報で到着した消防レスキュー隊が救助してくれました。

少し下流には大人でも背が立たない日本神話の死神とされる瀬織津姫の澱みや、化石層を深く抉って甌穴を作るほどの急流が在る場所で、小学3年生の小柄な児童達が首までの急流に流されずに、児童118人と引率の先生方全員が生還できた事は非常に幸運な事でした。

児童達の助け合い行動、先生方の勇敢さと強い責任感、助けに来てくれた付近の人達と迅速に救助してくれたレスキュー隊に心から感謝致します。

当日のダムの放水については、学校・幼稚園・保育園・養護施設などや町内の回覧版・市の広報にも通知は無く、放水に際しては下流域のサイレン設備で警戒と退避を促しますが、実際はダムからのみで、下流域のサイレンは鳴らされていませんでした。

したがって、放水予定を知らずに低水位の川原で昼食後の休息をしていた先生方と児童達は、放水による急速な水位の上昇と濁流に呑まれそうになる被害に遭ってしまったのです。

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この遭難寸前の災難教訓は、事前通知や警戒・退避を知らせる施設や設備の保全の徹底に生かされているのでしょうか?

現在、上寺津ダムの下流4km、災害場所の天池橋付近より3km上流に更に大きな洪水調整目的の辰巳ダムが在ります。

普段は水を溜めない辰巳ダムですが、定期的な堪水試験での単位時間の放水量は上寺津ダムと変わらないと思いますが、たぶん、放水時間は長くなるでしょう。

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