遥乃陽 diary

日々のモノトニィとバラエティ

世の中は感動と憂いに満ちている。シックスセンスが欲しい!

くらがり坂の清水と加州清光の住い

この清水(しょうず)が在る『くらがり坂』は、金沢市内の文学的に有名な『明かり坂』や『暗がり坂』が在る浅野川沿いの廓街の情緒豊かな主計(かずえ)町ではなくて、犀川河畔の城南2丁目の河岸段丘を上り下りする『くらがり坂』です。

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地域の交流の場として金沢市はポケットパークの様に、金沢市城南2丁目40-1近くに在る『くらがり坂の清水』を整備したのですが、奥の湧き水場と左斜面が鬱蒼として暗いので、とても此処で急速する気にはなれません。

『くらがり』の名に囚われずに、湧き水の滴りの周囲と左右の斜面を現代的な明るいデザインに施工して、暗がりや覆う影を無くし、得体の知れない怪異や爬虫類が棲まうような雰囲気を醸し出さないで貰いたいです。

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この辺りが昭和40年代に区画整理されるまで、坂上の上笠舞の集落から犀川上菊橋袂の城南地区の集落まで、街灯は全く無くて、夜は月明かりや星明りを頼りに歩く、本当に真っ暗な道でした。

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小学3年生の時に城南2丁目の犀川の堰で黄昏時まで、暗くなるのに気付かずに遊んでいて、一緒にいた友達と慌てて帰った記憶が有ります。

月が昇り掛けの時刻、疎らな雲の流れが時折り星明りを隠す中、段丘の影になった暗い道を、道脇の小川の流れの朧な光を頼りに戻りました。

『くらがり坂』の清水で足を浸してから、早く帰ろうと坂道を見ると、両脇に茂る木々が夜空を隠して、路面は暗闇にぼんやりと仄かに見えるだけです。

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この道は、小立野台地上の上野町から下菊橋を渡って寺町台地へ行く近道なのですが、夜は真っ暗になるので、提灯や懐中電灯の灯りが無ければ、上笠舞の集落から人家の明かりが続く下笠舞の猿丸神社の方へ人々は迂回していました。

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当時は、現在よりも治安は良くなくて、強盗や人攫いの事件も多く、また得体の知れない物が徘徊していたり、神隠しの噂も有って、しょっちゅう親から気を付けるように注意されていました。

見るからに真っ暗な夜道の危険さと不安な心細さに、友人と二人で迷子になりかけて、泣き叫びながら亀坂(がめざか)の麓まで走ったのを覚えています。

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あの頃は、崖面からの白糸のように滴り落ちる水と、こんこんと崖淵から湧く水で、洗い場は豊かに満ちていて、辺りの路面は湿っていました。

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清水は主に作物の洗い場として使われていました。

坂下の道路右脇の際からも湧き出していて、道の両側は細い小川筋でしたが速い流れでした。

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小立野台地や笠舞段丘などの河岸段丘の斜面や際には至る所に湧き水の清水が在り、夏になると清水の周囲や清水から流れる小川沿いは、多くの蛍が緑の光の尾を引きながら飛び舞っていました。

ある夏の夜、立坂下に在る実家の背戸に面する斜面の竹薮の中に、仄かな緑色の光が集まるのに気付いて、昼間にその場所へ行ってみたら、新しい湧き水の溜まりを見付けた事が有りました。

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『くらがり坂』の清水は、犀川河岸段丘の一番下の河川敷に近い城南地域の平地の笠舞段丘斜面際にが在ります。

ここは笠舞段丘が二段になっている場所で、『くらがり坂』上の平地から更に坂を上がりば、亀坂下の平地になります。

亀坂下の平地を斜面沿いに山側へ進むと善光寺坂下に在る『大清水』に至ります。

亀坂の上は、天徳院が在る河岸段丘最上段の小立野台地上です。

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段丘上の宅地化開発によって浸透水が減少してしまった現在は、多くの湧水が枯渇して、再整備された『くらがり坂の清水』も、辛うじて湧き水の流れが見られるような状態です。

河岸段丘の砂礫層を浸透して来る清浄な湧き水は、通る水脈で洗浄された細かな砂と礫を運んで来て、洗い場だった小さな清水池の底に敷き詰めています。

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定期的に枯葉やゴミの除去や敷地の清掃がなされている事によって異臭や濁りも無く、水底に堆積した清浄な砂と湧き水の慎ましい流れは、クレソンと緑鮮やかな水蘚を群生させています。

(くらがり坂の湧き水は清浄ですが、水質基準的に生水での飲用は控えて下さい)

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清水のクレソンは食べられます。

因みに食するクレソンには、血圧上昇を抑えるのと脂質代謝を促進、そして老化防止の効果が有ります。

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PS 1:

笠舞の地蔵尊(金沢市笠舞2丁目21-11辺り)

クランクに曲がる『くらがり坂』の上り切った河岸段丘から、更に亀坂下の河岸段丘へのS字に曲がる坂の上り切る直前の角には、地蔵が並んでいます。

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藩政期には、地蔵尊が在る坂を上り切った所から亀坂下まで罪人の処刑場が在り、坂を上り切った右手の笠舞第1公園辺りから河岸段丘縁までは、飢饉や災害で貧窮して生活が立ち行かなくなった者達を救済する非人小屋が在りました。

非人小屋は別名、御救(おすくい)小屋と呼ばれ、故に加賀藩領内では『非人』は士農工商に含まれない卑しい扱いの『被差別民/賤民』を指す言葉では有りません。

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非人小屋には士農工商の身分に含まれない、人々が忌み嫌う卑賎な生業の者も収容されて、『皮多/かわた』、『藤内/とうない』の括りで区別されていましたが、露骨な差別は有りませんでした。

(石川県や富山県の年配者が小さな生活地域を現す言葉で、よく『部落』を口にしますが、これは『村集落』を示す事で、他地域で用いるの差別言葉では有りません)

城南中学校裏の河岸段丘縁には屠殺場が有って、『皮多/かわた』の人達が従事していました。

物乞いをする乞食達も、加賀藩は非人小屋に収容して鑑札制で管理統率していました。

故に、人に非ず身分の人達や無届け移住者まで検めて管理していた加賀藩の藩領には、正体不明者は存在していませんでした。

f:id:shannon-wakky:20161008050703j:plain刑場で処刑された身寄りの無い罪人、非人小屋で亡くなったの身寄りの無い住人、飢饉や災害で亡くなった身内の供養の為に、刑場や非人小屋の周辺に点在して納められていた地蔵菩薩を集めて祭ったのが、笠舞地蔵尊です。

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 敷地6000坪以上(現:金沢市笠舞1丁目の北西側半分)、20軒長屋が45棟、収容2000~4000人の非人小屋は、災害で仕事場を失った職人達も居て、木工品、鉄工品、縫織工、などの日用品全般の製造及び、各種工芸品の製作が行われていた、衣食住を加賀藩から保障される職業斡旋所、職業訓練所、売り上げ歩合から賃金も支払われる職場と生活のシェアライフ地区でした。

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小立野台地上から見た非人小屋が在った辺り。現在は住宅が建ち並び、清光の碑以外に痕跡は無し。

 

山手側奥の涌波村の大道割近くには塩硝御蔵(土清水/つっちょうじ製薬所)が在りましたから、藩政期末頃には、小立野台地上から浅野川縁の田井町へ下りる牛坂(うっさか)の際に在った上野村弾薬所(現、坂下り際から石川県警察学校が在る一帯)へ運ばれて火薬にされた一部を使って、線香花火を非人小屋の製造所で作り、それを富山の薬売り達が加賀藩塩硝の販売サンプルとして、外様各藩の重役や豪商へ運んでいた事でしょう。

(加賀藩製の塩硝を用いた線香花火は、発色の良い火花が多く飛び散り、火玉が落ち難く長持ちして、人気が有った)

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犀川対岸の寺町台地上から見た非人小屋や刑場が在った辺り。建ち並ぶ住宅で、河岸段丘の判別が難しい。

 

PS 2:

非人清光の碑(金沢市笠舞1丁目5-15の角)

話は変わりますが、アニメ『刀剣乱舞』の歴史改変を防止する刀剣男子のキャラに加州清光というのがいます。

刀を擬人化したキャラで、『清光』は刀の銘です。

この清光を使うのが沖田総司で、史実は他人の騙りの『菊一文字則宗』でなくて、池田屋騒動まで『清光』でした。

(池田屋で刀身に亀裂が入って修理不能になった以後も、別の『清光』を帯剣したらしい)

池田屋で折れた『清光』は、加州の名の通り、加賀藩金沢に住む刀鍛冶師の清光が製作した細身の直刀っぽい日本刀です。

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十二代続いて刀鍛冶を相伝した清光は、太平の世で依頼が無くて生活に貧窮した六代と七代が、金沢市の笠舞に加賀藩が設けた生活救済施設の『非人小屋』に住み、細々と刀鍛冶を続けています。

それ以降、『清光』の刀銘は別名『加州清光』に加えて『非人清光』と呼ばれています。

『非人小屋(御救小屋)』は、金沢市の実家近くに在りましたが、区画整理される前の子供の頃の記憶では、その辺りは既に遺構も無く水田と果樹園が広がっていました。

非人小屋での加州清光の住まい兼鍛冶場が在ったらしき場所には、現在、日本美術刀剣保存協会金沢支部と東京国立博物館工芸課の方々が製作したモニュメントの碑が有ります。

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モニュメントの銘板部分には、石板の罅割れの修復か、石板から銘板が剥がれたり、盗難されるのを防ぐ為か、当初には無かった3本のステンレス製の帯が巻かれていて、銘板の中央の帯が、折角の銘文を読み難くしています。

(安価で施すには、帯びが銘文を真横に跨ぐ様な安易策しか、できなかったのだろうか?)

因みに『清光』の一振りは東条英機の愛刀でした。

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河岸段丘最上段の小立野台地上に辰巳用水が完成したのが、1632年寛永9年)。

非人小屋(御救/おすくい小屋)が開設されたのが、1670年(寛文10年)。

生業の仕事が極薄で日々の暮らしに窮乏した六代目の上刀鍛冶、長兵衛藤原清光の一家(長男の長右衞門と弟の八兵衞)三人を、1675年(延宝6年)には加賀藩が窮民救済で広大な御救小屋の一角の匠区域に収容していますから、安定した浸透水で水量が増えた笠舞大清水から引いた水や、3~5mも砂礫層を掘れば豊かに湛えるようになった井戸水が、鍛冶の焼き入れにの冷水に使われていた事でしょう。

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1687年(貞享4年)に六代目の長兵衛清光が亡くなった後、非人小屋を出た七代目の長右衞門清光も直ぐに生活が貧窮して1688年(元禄元年)に、再び非人小屋に戻っています。

七代目の長右衞門清光は1723年(享保8年)に他界。

息子の八代目長兵衞清光(1754年/宝暦4年没)以降は、小立野台地上(現:金沢大学付属病院付近)に居を移し、上クラスの刀鍛冶として生業を継いでいます。

下刀鍛冶身分の六藏守種も1684年1687年(貞享元年から4年)の間に非人小屋へ移住して加賀藩に救済されています。

(当初は従来の仕事場と非人小屋の鍛冶場を住み分けていたのか、正確な移住年は不明です)

貞享の後は、天下泰平、庶民文化満開の元禄ですから、刀造りの仕事は極めて乏しくなり、中クラス、下クラスの刀鍛冶は日用刃物で稼ぐしかなくなる頃です。

 

PS 3:

文学的な金沢市主計(かずえ)町の暗がり坂と明かり坂

茶屋街の重要伝統的建造物群保存地区とされている浅野川大橋の南西河畔沿いの主計町と、橋場町交差点近くの『爪先上がりの小路』の坂を上がった下新町を繋ぐ階段坂が、暗がり坂と明かり坂です。

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爪先上がりの小路の坂上から橋場交差点方向を見る。

 

どちらの坂も明治期以後、泉鏡花、木倉屋銈造、国本昭二、五木寛之の文豪達の著作によって有名になり、金沢市の観光スポットを代表する一つです。

(湯涌温泉滞在中の竹久夢二が招かれる浮世話とか、徳田秋聲や室生犀星の行きがかり物語などは無かったのだろうか? ……でも、犀星なら広小路の石坂/いっさか:西の茶屋街だったんだろうなあ)

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暗がり坂の上り下り。

 

日の出から日没まで陽に照らされる坂上の現世と、昼過ぎから黄昏時みたいに薄暗さが漂い始めて、夕刻には闇に沈み誘蛾灯の灯る坂下の異世界は、二つの曲がり折れる階段坂で隔たれています。

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明かり坂の上り下り。

 

階段坂は曲がり折れる場所で、覗き見る異世界に畏怖を、振り返り見る現世に未練を、思案する坂の様に感じさせます。

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行きつ戻りつの葛藤などせず、下りて異世界の狭間で浮かれ惑うのも好し、上がりて平穏無事の柔らかな緊迫も良しです。

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