遥乃陽 diary

日々のモノトニィとバラエティ 『遥乃陽 diary』の他に『遥乃陽 blog 』と『遥乃陽 novels 』も有ります

世の中は感動と憂いに満ちている。シックスセンスが欲しい!

上海蟹を初めて食べるまでの物語(蒸して、美味しく食べた!)

 初めて上海蟹を食べたのは、もう十数年も前になります。

広東省の龍華鎮の工廠での昼休みに、『会議室に蒸した美味しい蟹が有りますので、食べに来て下さい』と、上司に誘われて食べたのが最初です。f:id:shannon-wakky:20161222065238j:plain

会議室に入ると、二十人が対面する大きなテーブルの上に、赤く蒸し上がった蟹が五十杯は積まれた、湯気の立つ大皿が置かれ、更にガサガソと音のするダンボール箱が、テーブルの脇に八つ並べられているが見えた。

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大皿から三杯の蟹が皿に取られて、テーブル前まで来た私へ供される。

そして、私を会議室へ誘った上司が言った。

『これは、江蘇省の昆山工廠にいる事業群リーダーが、龍華工廠のリーダーへプレゼントしてくれた蟹です。中国では大閘蟹(ダァジャアシェ)と呼びますが、日本では上海蟹として有名ですね。この蟹を食べた経験が有りますか?』

上司は大皿から一つを掴み、私の前で赤くなった甲羅を毟り、胴体を豪快に真っ二つに割った。

『見えるでしょう。ここの黄色い味噌が、独特な味で、非常に美味いんですよ。台湾人も、中国人も、この大閘蟹は大好きです。そこの箱には陽澄蟹(ヤンチェンシェ)と印刷されてます。陽澄とは原産地の湖の名前で、ナンバーワンのブランドですよ。龍華の幹部達に食べて貰いたいと、リーダーの気遣いですね』

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オフィスの女子が開けたばかりのダンボール箱に近寄って中を覘くと、解凍し始めた保冷剤の間に蟹が二十匹以上も入っていて、冷蔵睡眠から目覚めた蟹達が体を揺すっている。

どの蟹も手足を折り畳んだ状態で、同じ色の縄にキツく縛られていた。

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『ああ、これね。攻撃的な蟹なので、縛らないと仲間の手足を切っちゃうんですよ。一本でも欠けるとブランドに成らないですし、送り主の面子も傷付きますね』

挟み爪の手に細い毛を、もっさりと生やしている乱暴者の緑褐色の蟹だ。

それまで、海の蟹とマッドクラブしか食べた事のない私は、初めて見る沢蟹をデカくして黒くしたみたいな蟹の味を疑った。

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眉間を寄せ首を傾げた私を察した上司は、ニッコリ笑って半分に割った蟹の一つを私へ渡し、残りの一つをカプッと咥えて黄色の蟹味噌を扱い出すように食べた。

『こんな感じの食べ方でいいんですよ。赤い内子に白身の肉も食べますが、赤いのの微妙な味に食べない人が多いですし、白身は食べる手間に比べて量は少ないから、みんなは黄色い味噌だけ食べて、後はポイッと捨てますね。そこが大閘蟹を食べる目的ですから』

その言葉に迷いが失せた私は、渡された半身に齧り付いた。

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ウニの黄色とは違う鮮やかな黄色は、黄金色のようにも、山吹色にも見え、口の中に広がる初めて味合う濃厚なる豊潤な旨味は、これまでの人生では無かった美味しさで、例えになる味が見付からない。

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この黄金の美味さで腹を満たしたい衝動に駆られた私は、供された三杯を二分も経たずに平らげてしまった。

上司は、食べ終わった私に言う。

『この蟹の美味しさを中国人が知ったのは、大体、四千年前です。中国最初の王朝、夏の国の人が食べたのですよ。紀元前二千年だったなんて、凄いです。よく見付けて食べたもんですよね』

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紀元前二千年の日本だと、日本列島は、出雲から庄内辺りまでの日本海側文化圏と九州から津軽海峡までの太平洋文化圏に分かれていて、共有生活圏の意識は有っても、国家の相互感覚や支配着想が、まだ無い縄文晩期と弥生早期の狭間の時代だ。

縄文人と弥生人は磯蟹や沢蟹を火を通して食べていたのだろうか?f:id:shannon-wakky:20161222071637j:plain

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以後、毎年の秋の旬にプレゼントされるだけではなく、いつか生きた大閘蟹を養殖の湖の生簀(いけす)から選んで買い、自分で料理して食べたいと望んでいました。

そして、四年前から私は、ルーツになった原産地の陽澄湖が近くに在る昆山市の工廠で勤務しています。

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下記は、伝承と史実に基づいて認めた、オリジナルストーリー、『大閘蟹を世界で初めて食べた物語』です。

 

大閘蟹を世界で初めて食べた物語

紀元前二千九十年晩夏、現中国江蘇省蘇州市東部辺り。

そこは、見渡す限りの大湿地帯だった。

我、巴解(バァジェ)は、十二人漕ぎの小船の船首に組まれた上背の高い人を二人、縦に連ねたよりも更に高い見張り台の上に立ち、見回す八卦(はっけ)の全ての方角は、二間(けん)以上の長さに生長した葦(よし)の草原と、溜まり水の見え隠れが続く中に、枝振りを広げた低木が4、5本寄せ合う林がポツポツと点在するだけで、じっくりと腰を下ろして休めそうな乾いた土地や岩場は何処にも見当たらなかった。

ただ、東方の地平線の彼方に岩山の頂きらしきを見付けるが、今日までのように、葦の原に入り組む水路の複雑な迷路は何十回も行く手を阻み、辿り着くのに数日は必要だと思う。

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我々が来た西方に昨日まで見えていた山の小さな連なりは、今朝から見えなくなっていた。

其処には、新田の開墾を任せる為に連れて来ていた農民の一部と警護の兵士の一部を残して来ている。

そして、彼らには砦を建て、山の麓を開墾して水田と作物を作るように命じている。

彼らは住まう場所を整備して、時雨が降って寒くなる前に、持って来ている食糧と育てた作物や狩猟の獲物で、自給自足できるようにしなければならない。

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新たな入植地を求める我々本隊も、北風の木枯らしが吹いて、どんよりと暗い鉛色の冬雲が流れて来るまでに、新天地に巡り遇って冬越しの準備を整える必要がある。それが叶わなければ、西方の山の小さな連なりへ戻り、来春に再び東方へ進出できるまで冬篭りしないと、帝(みかど)の命は達成できないだろう。

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此処まで来るのに三日も掛かった水路は池や分水路の多い迷路だった。

水路筋を探す為に何艘も偵察船を先行させたが、行き止まる多くの分水路に迷い、数艘の偵察船が今も戻って来ていない。

易経(えききょう)に熱く傾倒して信心する禹帝(ユウディ)は、政(まつりごと)の全てを八卦と陰陽(おんよう)の導きで取り計らっていた。

春の節目、豊年の元旦に、冬空の星の瞬きに憂いを感じた禹帝は、自ら創始した夏(シャ)王朝の行く末を占った結果、『震(しん)の方角が動き、雷鳴を轟(とどろ)かす龍に、足許が覚束(おぼつか)無くなる民は離反し、国の西部、中原(ちゅうげん)の地に集い興す新たな国朝は、夏を禹帝一代で滅亡させる』と読まれ、更に『災厄の祓(はら)う術は唯一、震の地に進みて豊かに繁栄さすれば、夏の国の存続は五百年』と解かれた。

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故に我は、主君の陽城を都城する夏国の禹帝に『彼の東の地を治水開墾して領土を増やし、夏の国を豊かにせよ』と、命じられ、未だ何処の民も治めていない長江沿いの大湿地帯を、帝から任せられた新田開墾の農民家族と漁場開拓の漁民家族、それに治水の土木技術者に警護の兵士達を乗せた三百艘の舟を率いて、先行させている偵察船が見付けた、開墾して暮らせるそうな土地を目指し、鏡のように凪いでいる水面を静かに進んでいる。

暫く行くと、向こう岸が遠くに見えるくらいの大きな池と、それよりも小さな池に挟まれた、そこそこに広い乾いた土地に着いた。

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彼の地の岸辺に葦は茂っているが、中は僅かに地面が盛り上がり、水気に悩まされずに船団全員が暮らせると上陸後の探索で確認した。

直ぐに全ての舟を岸へ上げ、全ての荷物を降ろして宿泊の設営をする。

翌日と翌々日は、降雨による洪水で浸水しないように設営地周辺の堤防土手と、視察した開墾候補地の用水掘りを計画し、作業工程を組んだ。

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そして四日目、晴天が続く間に工事を終えようと、昼夜交代の土木工事が開始された。

しかし、その夜、悲劇が起きる。

篝火や焚き火の灯りに引き寄せられた大きな蟲に兵士と開拓民が襲われて犠牲者が出た。

そして、蟲は切り刻んで倒した十数人を大きな池の中へ運び去ってしまった。

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夜が明けた現場で見た数匹の走り回る蟲と死骸の蟲は、広げた大人の掌より一回り以上は大きい厚い甲羅で覆われた胴体を持ち、細い爪先の八本の足で水辺の泥濘でも、乾燥した草地でも、安定した姿勢で素早く動き、とても人が捕まえたり、追い払う手足の動作では、蟲の動きに追い付けなかった。

大人の親指よりも大きいな鋭くて硬い挟み爪が付く、子供の握り拳くらいの大きさの両腕による攻撃は、人の皮膚を肉筋までパチン、パチンと切り取ってつまみ、食べていた!

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挟み爪の回りにびっしりと生える絨毛(じゅうもう)は、威嚇や攻撃ポーズで構える爪に、まるで武官の豊かな髭のように見え、獰猛で強固な戦闘意志を感じさせた。

足も、腕も、胴体と同様に鋭い角が立つ硬くて厚い甲羅で覆われ、素手で捕らえる事に成功しても、暴れる動きに掌を切られり、指を切断されたりした。

頑丈な体の構造は、踏み潰そうとしても効果は無く、逆に足に怪我を負った。

首筋や股筋を切られて大出血で殺された者や、手足の筋や神経を切られて動けずにいる者を、彼らの下に入り込んだ多くの蟲達が、まるで蟻がするように持ち上げて水の中へ連れて行った。

 

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この場所に上陸した日、前日まで午前と午後に二匹以上は水路で釣れていた、人ほども有る大魚や鰻が、早朝から一匹も獲れなくなった。

二つの池の上空に舞う鳥は無く、茂みに巣くうはずの水鳥の囀りや蛙(かわず)の鳴き声も聞こえて来なかった。

昨日の朝、偶々(たまたま)、遠くから飛んで来た大きな鳥が羽休めに岸辺に下りるのを見た。

その鳥の足をいきなり、近くに潜んで居た蟲が挟み爪で掴み、驚いた鳥は反射的に羽を広げて飛んで逃げようとした。

そこへ増援の蟲が次々と現れ、羽ばたいて飛び上がろうとする鳥の、もう一方の足を増援に来た先頭の蟲が掴むと、後続の蟲達は両の足から攀(よ)じ登って、重みで鳥を圧し倒した。

そして、虚しい羽ばたきを繰り返す鳥を水中へ連れ去った。

全ては一瞬で、『ああっ!』と呻くしかない間の非情な出来事だった。

鳥が引き込まれた水面に広がる波紋を見ながら、『蟲達は常に空腹で貪欲だな』と、全く危機感を感じないままに見ていた。

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釣れない大魚も、池にいない水鳥も、全てを蟲達が食べ尽くしていた。

その時に、蟲達の賢い凶暴性と貪(むさぼ)り喰らう暴食性の危険と脅威に気付くべきであった。

だが、我々の誰しもが、夏の国を豊かにする禹帝の命に叶う地に上陸する興奮で冷静さが薄れ、水鳥の非情な顛末から導かれる事態を予想していなかった。

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そして昨夜、篝火を焚いて突貫工事中の我々は襲われた。

ザザザッザーッと音と共に全方向から地面が揺れ動くように、何十万匹もの蟲の大群が泡を吹きながら襲って来て、明け方には寄せた波が戻るように、切り取った人の指や肉片に殺された仲間の屍も掴み、一斉に池の中へと退いて行った。

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我々の大勢が手足に怪我を負い、池へ運ばれて行方不明になった者は、とうとう死体も見付けられなかった。

後日に判明した事だが、大きな池の東側の広い水路の水は、海水が混ざる汽水で、蟲達の大産卵場だった。

そして、大きな池と小さな池は共に大繁殖の地で、蟲達は常に餓えている。

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餓えた蟲達にとって、我々は大量の餌で御馳走だった。

蟲達は我々を食い尽くすまで、何度でも必ず襲って来るだろう。

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夜、池から炎の灯りが見える範囲で火を焚くと、我々を食い尽くそうと蟲達が遣って来る。

我々は夜間の作業を止めて、蟲達を撃滅する対策を考え、防壁を築く工事を急いだ。

敵は八本足で素早く動き回るが、空を飛ぶ翼は無く、手足を含めた大きさは子犬ほどだから、蟲が乗り越えられない高さの垂直な防壁を巡らすだけで、我々に襲い掛かれなくなる。

それができれば、蟲の撃退や退治の遣り様も有る。

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船団の三分の二の舟を解体して、その木材で二十間四方の防壁を巡らし砦とした。

そして、内部には八間四方の外壁よりも高い土塁を造成して、上面の中央に井戸を掘って釣瓶で真水を汲み上げれるようにし、それから四面の縁には炉を並べて作り、炊事と足し湯の場にした。

高さ一間の外壁の外側には、半間の斜面の地を残して幅二間のV形の溝を掘って、外周掘りを作り防備の要とする。

V形の溝の斜面と底は、水路底の地中から掘り出した粘土を敷き詰めて固め、漏水を防いだ堀を水濠にした。

砦の周囲は、百間の幅で生い茂る葦などの草木を薙ぎ払って見通しを良くした。

濠の近くで掃った小枝や低木の幹、それに水路向こうの地からも集めた薪を燃やして、有りったけの瓶や鍋で次々と湯を沸かし、注いだ熱湯で濠を満たした。

満たすと湯が冷めないように、土塁上で沸かした湯を導水路で流して足す。

濠を熱湯で満たした頃には既に陽が沈んで、辺りに迫る闇の奥にザワザワと蠢く気配が強まって来ている。

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濠の外側に篝火を焚き並べ、焚き火もそのままに外にいた全員が砦内へ撤収し、武器を掴んで構えたのも束の間、ガヤガヤと全周囲の闇から払った草木を踏み付けて、篝火の灯りの許、見渡す限りが蟲の大群に覆われた。

迫り来る蟲達は濠から溢れ流れた湯に、一瞬、躊躇して動きを停めたが、より勢いを増して防壁に取り付こうと濠へ殺到した。

濠の湯は、防壁上の導水路から足され続ける熱湯で冷める事は無く、濠を渡ろうとする蟲は悉(ことごと)く己の堪えうる水温以上の熱水に動きを止め、濠の底へ沈んで死んでしまった。

先行する仲間が次々と濠に沈んで行くにも拘(かかわ)らず、泡を吹き、挟み爪を振り回す蟲達は、濠を越えようするのを止めようとはしない。

大量の蟲の死骸で埋まって行く濠は、蟲の冷たい体温で温度が下がり、熱の障害となる濠の役目を果たさなくなった。

死骸で埋まる壕から溢れ出て仕舞う熱湯への足し湯は、繰り替えしても直接浴びせる蟲以外を殺せなくなってしまう。

蟲達は水面上まで堆(うずたか)く積み重なった仲間の屍を渡って、一斉に砦の四面の防壁に取り付いた。

取り付くと重なる仲間の体を土台にして高さを増し、見る見るうちに防壁の高さに迫って来る。

それを、導水路の熱湯を掛けたり、槍で突いたりして崩す。

もっと高さが迫ると刀で切り払うが、全く休み無しで動き捲くる蟲達の増す高さに、返し刀が追い付かなくなっていた。

その時、濠の外側に並べられた篝火が全て倒され、切り払って炎天で乾燥された草木に火が放たれた。

全周囲へ燃え広がる炎は、直ぐに大火となって百間先まで焼き尽くして蟲達の後続を絶ってしまう。

迫る炎に後続の蟲達は池へ逃げ帰り、小山のように積み重なって防壁に取り付いた蟲は、チリチリと防壁板を焦がすほどの劫火(ごうか)の炎の熱に燻されて、全滅してしまった。

砦の中で防戦していた人間達は、大地が焼ける熱が冷えるまで、汲み上げた井戸水を被って堪えていた。

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夜明けの冷気に蒸せる空気が冷め、朝日が辺り一面を照らすと、我は土塁上に立ち、全ての包囲に警戒すべき気配を探した。

だが、目に映る全ての地面には無骨な緑褐色の蟲が、敷き詰めた赤い絨毯のように隙間無く、焼けて、茹だって、蒸してと、赤く変色した骸を晒していた。

我の眼下の全周囲には、少なくとも十万に近い赤い骸が転がっている。

一夜にして我々は、蟲達に食欲と攻撃欲を削ぐほどの甚大な損害を与え、この地を制圧していたのを知り、我が見る一面の赤い眺めに、昨夜は一人の部下を失う事も無く、蟲達に完全勝利した確信を得た。

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砦の外に出て、マジマジと観察した蟲の全体像は長江に棲む泥蟹に似ていたが、大きさが全く違って、ずっと大きい。

胴体部だけでも倍以上の大きさだ!

それに単独行動の泥蟹と違い、戦闘的な集団行動をしていた。

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泥蟹は清水で泥を吐かせてから、蒸したり、焼いたりして美味しく食べれる。

特に雌の胴体に有る美味な赤い内子と卵は、酒の肴として食が進んだ。

 そして、足許の熱湯の掘りで茹で上がった蟲と、焼けた葦の中で燻さされた蟲は、調理後の泥蟹と同じ、

美味しそうな紅色になって湯気を立てている。

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白色に近い明灰色の腹部の中央部分は、細い釣鐘の形と潰した握り飯の形をした二種類が見て取れた。

たぶん、釣鐘形は雄、潰した握り飯形は雌で、その形は卵を宿す為だろう。

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近くにいた部下の一人が、茹だった蟲達の死骸を眺める我の意に気付いたのか、一つを脇差の短刀で見事に両断して、茹で上がった熱さで手玉に取りながら、我の眼前へ差し出した。

立つ湯気の香りも泥蟹と同じ。

だが、雌だと思われる一刀両断した断面の身には赤い内子の他に、泥蟹には無い黄金色の味噌のような大きな塊りが有る。

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我は部下から片方を受け取り、黄金色を鼻に近付けて臭いを嗅いだ。

その匂いは、泥蟹と同じ香りがする赤い内子とは違う、更に深く濃い例えようの無い豊かな旨味を鼻腔の奥に感じた。

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無意識に我は黄金色の味噌に喰らい付き、気付けば口一杯に頬張って、広がる新たな香りと味に歓喜していた。

我は喉越しを楽しみながら口の中を空にすると、周りに集まって我の食中(しょくあた)りを案じる部下達へ叫んだ。

『此処の蟲は思った通り、蟹だ! 有りったけの茣蓙(ござ)とテーブルを持って来て、ここに敷いて並べるんだ! そして、茹で上がった蟲と焼けた蟲を置け! 強い酒も持って来い! それから醤油と酢もだ!』

我の大声に、察しの良い部下は塩梅を整えようと機敏に動き始めるが、大半は何の事やらと更なる我の説明を待っていた。

『ええい! さっさと用意しろ、この蟲は内子が旨いんだよ! 今から勝利の宴会を始めるぞ! お天道さんが真上に来て、蟲を腐らせるまで宴会だ! その後は、残りを池に捨てるんだぞ。酷い臭いなる前に大掃除だな』

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部下の誰もが美味いのかと疑いの顔を見合わせながら、勝ち鬨(どき)を連呼する。

『攻撃的な蟲は美味い蟹だった。茹で上がって初めて蟹だと、はっきり知ったから、大閘蟹とするぞ!』

『それに、禹帝にも食べて貰いたいと思う。残っている舟の数艘を籠生簀(かごいけす)用にして、生かせて陽城の宮廷へ運ぶんだ。是非、この旨さを禹帝に知って欲しいと、我は考える』

部下達から大きな歓声が上がる。

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『この砦が在る地は、我の城として、巴城(バアチャン)と命名する。蟲達が棲まう二つの池は、小さい方が同じく、我の池として巴城湖と名付け、大きい方は、これからの豊かな繁栄を我々に約束してくれるよう、陽澄湖の名にする』

『食べた蟲の殻は、細かく砕いてから田畑の土に鋤いて肥料にするぞ。今年中に開墾を済ませ、来年以後は、他の地も開墾しながら灌漑した水田で稲作を始めよう。そして、秋には、収穫した米と大閘蟹と巴城の特産品として、禹帝へ献上して民に振舞って貰い、強い夏の国の証とするんだ!』

我の激と豊かな富への期待に宴会は盛り上がり、真昼までのつもりが翌日の朝まで楽しく浮かれ、酔い潰れてしまった。

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夜通し火を焚いて、飲み溢しながら、喰い散らかしながら、千鳥足で歩き回り、酔い潰れて焼け野や葦の原で眠っても、大閘蟹達は襲いも、近寄っても来なかった。

大閘蟹は賢くて強い人間を天敵と恐れ、今後、二度と人を喰らう事が無くなったのを知った巴解は、心地好い酔いの夢現(ゆめうつつ)に想う。

 

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陽澄湖で獲れる大閘蟹の黄金の美味さは、中原世界の隅々まで有名を馳せ、大勢が食べて絶賛するだろう。

何千年後の未来まで、世界中の人達が巴城の街へ陽澄蟹を食べに来るだろう。

そして、語り継がれる我、巴解の『大閘蟹を世界で初めて食べた物語』を知るのだ。

-終わり-

 

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紀元前二千年、江蘇省の長江河口地域は上流からの堆積土によって、大小無数の沼池や葦の草原の湿地が島のように点在するだけで、沿岸線となる海原との境界は明確では有りませんでした。

太湖から上海市の一帯は、堆積と潮流による無数の堆積砂州が集まるだけの、長江や太湖の淡水に海水が混ざる汽水の水辺で、作物が育ち、人が住める塩害の無い乾いた土地は、何処にも有りませんでした。

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ただ、物語冒頭の巴解が東方の地平線の彼方に見た岩山の頂きらしきは、現在の昆山市内の亭林公園に聳える玉峰山(馬鞍山)という岩山で、有史以前から人が住みついて漁猟を生業(なりわい)にしていたとされる黄泥山遺跡が在りました。

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(黄泥山遺跡は出土品や生活跡を発掘されていましたが、中国考古学的に不都合になるのか、遺跡は近年、埋められて現在は亭林公園の正門と周辺広場に整備されてしまい、黄泥山遺跡の説明石碑と出土品は行方不明です)

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彼らは岩山の頂きが見える範囲で漁獲を行い、夕刻に戻らない仲間がいると、夜通し頂上で大きな火を上げて帰る道標(みちしるべ)とした事でしょう。

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巴解が治山治水のエンジニアとして仕えた禹帝は、現存する古(いにしえ)の歴史史書に名が残された最古の王朝『夏』《紀元前2100年頃~紀元前1500年頃》の初代皇帝です。

実際に伝承地から都城の遺跡が発掘されて、人口二万人規模の国家形態《二里頭文化》の存在が証明されています。

大湿地帯の開墾に成功した御蔭なのか、夏の国は十七代皇帝の人徳に欠ける(ジェエ)が、暴政で人心の離反を招くまで、四百七十年続きました。

最古の唯一の王朝なのに最高位の皇帝とは不思議ですが、幾つもの王国を征服して支配する皇帝の意味とは違い、中国史では、天の皇(ファン)《運命》、地の皇《大地と時勢》、人の皇《自身の性格》の三つの徳を持つ人物に与える最高の称号ですから、民に慕われて夏の国を豊かに繁栄させた人物なのでしょう。

夏の国を創始する前の禹帝は、舜帝(シュンディ)に仕える世襲制の治水エンジニアで、父が成し遂げれなかった黄河の氾濫と洪水を治めています。

舜帝は晩年に統治を禹に譲って亡くなっています。

この時勢と人徳に恵まれた舜帝は、先代の堯帝(ヤオディ)に二人の愛娘を嫁がせてまで人物を見定めさすほどの逸材でした。

堯帝に登用される前の舜は、家督を連れ子に継がせようと企(たくら)む異母と拐(かどわ)された父に殺されそうになりながらも、その全てを己の知恵で逃れ、それでも実父に孝行を尽くす息子でした。

登用された舜は、直ぐに堯帝から三年間の摂政で能力を試されますが、忠義や成果の無い官僚を一掃して、政は平穏に行われようになり、民は平和な生活が過ごせるようになりました。

この大いなる成果に堯帝は、以後の摂政を舜に任せて帝位を譲ります。

堯帝も民の安寧(あんねい)な生活を望んで尽力を尽くす、徳の高い帝で、それ故の瞬の登用でした。

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堯帝の先史は、中国中原の統治の祖、医術に長けた黄帝(ファンディ)《紀元前2510年紀元前2448年》になり、その前が神格の伏羲(フウシィ)女媧(ニュウワ)神農(シェンノォン)《いずれも顔は人、身体と能力は人外》の神話時代になります。

ユンケル黄帝液に名が使われるくらいの医術者の黄帝は、東洋医学の創始者とされる岐伯(チィバァイ)に医学を学んでいます。

黄帝の名は崇拝する後世の人々の姓に使われていて、中国の人々に黄の姓が多いのは、その所為なのです。

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しかし、中国最古の王朝とされる夏の国以前の、舜帝や堯帝や黄帝の統治は史実的に伝承されているだけなので、中原の地には、まだまだ知られざる遺跡や、古の国の名も読み解く事のできる遺物が埋もれているのかも知れません。

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上海蟹に纏わる巴解の伝承は、以上の様な太古を遡(さかのぼ)る史実に結び付くのには、驚きです。

少なくとも、堯帝からの因果を感じます。

 

注意:

原産地とされる陽澄湖で養殖される大閘蟹は、高級ブランド『陽澄蟹』として高値で取引されていますが、高価ゆえに違う湖や池で養殖されたニセモノが非常に多いです。

陽澄湖湖畔の巴城の街で食する大閘蟹や販売している大閘蟹でも、大半がニセモノと言われています。

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陽澄湖で獲る大閘蟹にしても、沖合いの生け簀や対岸からニセモノを運んで来ているとの噂が有ります。

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陽澄湖区域の隣接する池で養殖されている大閘蟹にも、養殖は名ばかりで他地方のニセモノを放っているそうです。

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陽澄湖は流入する河川域から水質汚染を防ぐ管理がなされているそうですが、それを保障する資料情報はネット上に見付かりませんでした。

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他地域のニセモノ養殖の湖や池の殆どでは、乱開発された多くの工業区が岸辺に在って、重金属を含む無処理の排水を流入させています。

重金属や毒性の強い有害物質は、発癌性以外に全身の筋肉痛、関節痛、浮腫みを発症させます。

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このような汚染の弊害は大閘蟹だけに限らず、河川や湖沼で獲れる蟹、魚貝などの全般に及びます。

なので、河川や湖沼で獲れる食材を大陸で食する場合、くれぐれも自己責任の覚悟を御願い致します。

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もし、大閘蟹を帝に献上していた巴解が現在の陽澄蟹を食べたとすると、絶対に水質汚染による余りの味の違いで激しく怒り、深く嘆き悲しみ、末裔達を酷く恨む事でしょう。

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