初めてタミヤの製品に触れたのは、小学5年生の時のロンメル戦車で、戦闘室の上面から砲弾モドキを装弾して、スプリングでアルミ製の砲身から射出するのがお気に入りの逸品でした。

次にタミヤを意識したのは、愛読していた月刊『丸』の裏表紙に掲載された戦車模型の車体上部の写真で、其のリアルさと緻密な造形と写真のデザイン性から強く興味を持たされて、発売を心待ちにしました。
発売されたのは1/35のキングタイガー重戦車で、それは戦車模型の子供好みのモーターライズ(motorize/動詞/機械化する)での走行をしない、持ち上げた時の重量感も無い、当時の常識を逸脱する大人のホビーで、静の中に動を表現するディスプレイ用のモデルでした。
モールドの緻密なリアルさに魅了されると共に、背景無しの白地に迫力の有る角度からキングタイガー戦車を描いた箱絵は美術絵画の様に美しく、其の前面装甲板の右上の隅では、武装親衛隊第22師団『マリア・テレサ』の白い矢車菊のシンボルマークが鮮やかで目を惹かれ、其の素晴らしさに感動していました。
(それは中学1年生から2年生の頃でした)


其の頃はレベル社のスケール・アビエーションとヒンチリフ社やヒストレックス社やエアーフィックス社の54㎜(1/32)、75㎜(1/24)、90㎜(1/18)などのナポレオニックウォーのフィギュア達ばかりを集めていました。
他にも、3Dウォーゲーム用のGHQ社のホワイトメタル製1/285マイクロアーマーシリーズの収集にスペインやイタリアのメーカー製の木製帆船模型などが有りました。
(それらは、今でも手付かずで残っています)
其処へチェスの駒のようではない静の中に動を感じさせるタミヤの1/35のミリタリーミニチュアシリーズの登場です。
忽ち魅了されて発売される度に購入して塗装しながら組み立てていました。
更に『タミヤニュース』の存在を知りました。
そして1970年6月(昭和45年)『パチッ特集号/現 パチッコンテスト』が始まり、金賞を獲得した『カンプクルップジーベン』の作品に感激して、当時のジオラマ製作の目標になりました。
1973年(昭和48年)第1回人形改造コンテストに作品を製作して応募しました。
ソビエト映画の『戦争と平和』からロシアの宮廷でロストフ伯爵家の長女ナターシャとボルコンスキィ公爵家の当主アンドレイのワルツを舞う二人の姿を『永遠の昨日』という作品名で、其の写真と共に送りましたが入賞できませんでした。
(作品の『永遠の昨日』は、応募条件の規定で返送されませんでした。高校3年生の時です)

小学生の時から老人になってもモノ造りに携わっていたいと考えていて、モノ造りの思考と手法に興味を抱いていた田宮模型に、工業高校機械科の3年生の初秋に入社を希望する手紙を送りました。
返信は直ぐに来て、時雨降る晩秋の11月に恩田原の田宮模型社屋へ出向いて入社試験を受けました。
結果は合格で、愛でたく田宮模型の社員に成れましたが、芳しくなかった成績の所為なのか、金型部修理班勤務の辞令を拝領致しました。
(だが、修理班勤務が金型構造、射出成形技術、成形材料の種類と特性、機械加工、ガス溶接に焼入れ手法、事故時の対処法に安全管理の重要性、工具使いと測定手法、そして人間関係などの一連を親方と先輩達から教わり、外注の成形工場周りから就労状況を知り、時々関係する新製品の試作での開発手順と金型設計を学ぶ事ができ、今日の職務、成形技術顧問の礎と成りました。因みに親方は香港攻略戦で太腿に銃創を受けて内地で療養中に終戦を迎えた陸軍静岡連隊の工兵隊の伍長だった方で、先輩は有限会社プラッツの代表になっていた御方です。親方の銃創痕は大きく凹んでいて、細かく砕けた弾頭の破片が黒い粒となって幾つも残っていました)

修理班での私が作業台して使っていたのは、既に販売を止めていて金型類を廃棄する『ロンメル戦車』の上部車体部分の可動側型板でした。
自分で金型から個別にした型板の突き出しピンなどを埋め、研磨加工で平面にして定盤代わりにしていました。
ベリリウム合金製の車体上部面コアの入っていた固定側の型板は、厚みが薄くて剛性不足だったので使えませんでした。
お気に入りだった『ロンメル戦車』の可動側型板が自分の作業定盤となって使うなんて、因果を感じていました。
(モーターライズで走行し、スプリングのリコイルでアルミ製砲身からマガジンラックに装填したプラ製弾丸を手動で連射する……。あのギミックが大好きで、金型の廃棄に自分が関わって、未来永劫の絶版になるのは、とても残念でしたねぇー。まあ、パンサー戦車は既に廃型になっていましたし……。)
私が田宮模型に在籍中の社長は田宮文若氏で、田宮俊作氏は常務で、私の入社した時の俊作氏の年齢は39歳でした。
常務の父親の田宮義雄氏は田宮商事の社長であり、田宮グループの会長でした。

当時の社員ピンバッジです。
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新入社員の実習では田宮模型と田宮商事の多様な業務を各1週間単位で経験して、田宮のロゴ入りデザインの鉛筆やノートなどが使われている事を知りました。
初年度は、実習で繰り返す単純作業が辛くて、実習レポートに『辛くて、疲れて、死にそうだ!』と書いたところ、新人教育の多分20代半ばの担当者から『君は、此の実習内容で本当に死ぬのですか?』と問われて赤っ恥を掻き、『ほんと、死ぬ筈ないだろう』と、大いに反省しました。
デザイン室での実習では楽しさを感じるフィギュアの塗装が有りましたが、それはショーウインドウの展示サンプルで、試しに1体だけにウェザリング塗装をしたところ、残念ながらウェザリングやシャドーへの理解が得られませんでした。
(リアルなパッケージ画を高荷義之氏や常務の弟さんの田宮督夫氏が描いていて、デザイン室の部員達を指導していたのに理解されないのは不思議な事でした)
不思議と言えば、フィギュアは最初に1/6サイズの原型を彫刻家が製作して、それをシリコンゴムと硬質石膏で型取りしてからドイツ製の立体彫刻機で金型コアへ縮小彫り込むのですが、フィギュアの出来栄えは原型次第だったのです。
なので、彫刻家の作風が現れていて、首を傾げる造形も有ったのでした。
実習期間を終えると田宮模型から見える常務の邸宅で新入社員の歓迎会が催されて、初めて食べる豪華な料理ばかりに驚くと共に、とても美味しく頂きました。
大きなテーブル上に並ぶ料理の中でも、ラムと思われる大きな肉塊の蒸し焼きを切り取って食した料理が非常に美味しくて、其の後もそれなりのレストランに訪れた際にメニューを探しましたが、未だに出遭ってはいません。
ただ、其れまでの18年間の人生で其の様な高級料理を食した事の無かった胃腸は、魔素塗れの異物と認識して仕舞い、激しい嘔吐と下痢で三日間も休む事になりました。
しかし、幸いな事に其の様な症状は私一人だけでした。
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就労時の問題で御叱りを受ける時は、フアレディZを愛車にしていて『河童のショウちゃん』の愛称で畏怖されていた工場長で、常務室へ呼ばれる時は御褒めや慰労や新たな辞令を賜る時でした。
入社して半年も経たずに寮棟から四畳半のアパートへ移りたいと親方に相談したところ、直ぐに其の御大の御二人から呼び出されました。
理由を問われ、注意点を諭され、アドバイスを受けました。
其処で言えなかったですが、寮の風呂で『男おいどん』のようにインキンに感染したのが1番の理由で、完治させるまで(10年近く)散々苦労しました。
引っ越し後は、御大方々から間借りの自炊での一人暮らしを心配する言葉を時々頂いていて、スチャラカ社員だった私は其の度に恐悦至極と感謝していました。
金型部で2年が過ぎて仕事も覚えて技能と責任感が備わって来た頃に、小鹿通りで妻と巡り合って同棲を始めてからは真面目な勤務態度に成りましたので、御二人の御大から心配される事は無くなりました。
田宮模型へ入社後は、あれだけ熱中して製作していた田宮模型の製品に殆ど手を付けずに、イタラエリやエレールやヒストレックスの商品ばかりを作っていました。


そして、より精密な加工と緻密な金型の設計と製作のスキルを極めようと、スチロール系凡用プラスチックからスーパーエンジニアプラスチックの世界へと転職しました。
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会長になられた田宮俊作氏と最後に御会いしたのは、2020年7月1日の業者向けのコロナ渦明けのタミヤフェアで、タミヤの本社ビル2階のショールームでした。
田宮模型で同期だった宮城県柴田郡大河原町で模型屋『タートル』を営む渡邊芳光店主に誘われて御会いしました。
名刺を交換して握手して言葉を交わすと不良社員だった私を想い出されていました。

若々しい笑顔と肌の色艶と言動、聴力は衰えず、視覚の病も無い健康的な御身体から100歳越えになっても、イベントに御越しになっているのだろうと考えていたのですが、2025年〈令和7年〉7月18日金曜日、90歳で御亡くなりになるとは想像出来ませんでした……、真に残念です。
18歳の新社会人の私を御指導御鞭撻して頂き、本当に有難う御座いました。
御逝去の報に接し、心より御悔やみ申し上げます。
御生前、私の様な不埒な者まで覚えていて下さり、御厚情に感謝申し上げます。
新たな創造への異世界転生の旅立ちでありますよう、御祈り致します。
遥乃陽(はるかのあきら)
PS1:
模型作りは高齢に成りつつある今も続けています。
自作の架空戦記(大戦末日の戦いをテーマにした『超重戦車E-100Ⅱマムートの戦い』と『越の国戦記』に登場する架空戦車や架空戦艦や戦場シーンを作っていたり、3Dフィギュアチェスも作ったり、粘土でも創作したりしています)






こちらは歌手の推し活をする専属の通訳女史へ贈った軽量粘土製のマスコットフィギュアです。


作り掛けのジオラマ作品、フィギュア、航空機も多いです。




他にもアニメ『花咲くいろは』に登場する『のぞみ札』をレリーフ彫りで着色して湯涌稲荷神社へ奉納しています。
(奉納後の作品は、湯涌温泉の土産物屋で展示されています)


海外で居住して仕事(日系企業ではなくて台湾企業での技術顧問です)をしていますので、フィギュアや車輌などの日本では入手が困難、或いは高価な海外模型が、通販で安価に購入できています。
工具や塗料類やジオラマ部材も此方で通販購入しています。
資料や作例や製作レクチャーはインターネットで調べ放題です。
通販購入し過ぎて、残りの人生で何処まで手を付けられるか不安になっていますが、魅力的な新作がアップされると、躊躇わずに購入しちゃっています。
価格が送料込みでも格安なので、稼ぎの全てを妻の日本の口座に送金して、趣味と生活費は此方で発生した経費の精算分で賄っています。
PS2:
日本国外での生活は、正に異世界生活です。
海外では、ノースキルで無双的に稼ぐ事はできません。
これまでは、考え方×遣る気×能力(学歴・経験)でしたが、AIの活用が進んでいる海外企業では、考え方×遣る気(熱意)×活用力(言葉遣い・文章力・発送力・応用力・一般知識)を備えた人材が重要視されます。
(志の有る方は、参考にして下さい)
海外の第一線で活躍できるスキル(経験と知識と評価)を備え、それを向上させる意欲を持ち続けるなら、趣味人として楽しい毎日を過ごせます。