京都市北区雲ケ畑、賀茂川の源流の地を封じる岩屋山金光峰寺志明院です。
京都で最強の魔所『魑魅魍魎の最後の砦』とされ、司馬遼太郎がサンケイ新聞の宗教担当記者当時に此処を取材して発表したエッセイ『石楠花妖話』に、志明院に宿泊した時の怪奇現象に悩まされたエピソードが綴られています。
それには、一晩、本坊を見下ろす茶室に泊まることになったのでしたが、夜の11時頃に障子の桟を力任せにゆする音で目が覚め、屋根の上でもシコを踏むような大きな音が聞こえ始めて、夜通し騒がしい妖怪に眠れなかったそうです。
院主によると三種類の物の怪が出るそうで、一つは山中に灯る竜火、二つは山頂の天狗松の辺りから殷々と響いてくる天狗の雅楽、そして三つは妖怪の騒ぎだと記されています。
寺伝には650年に役行者が創建し、829年に弘法大師が再建したと有り、また最盛期には40件以上の宿坊が谷間を埋めていたと記されています。
空海が開眼した不動明王像は本堂に、菅原道真の手彫りした眼力不動明王像は奥の院に安置されています。
写真撮影が禁止される魔を封じた楼門より奥の地は、石楠花の群生、岩洞から湧く清水、水源から岩肌を流れ落ちる滝、巨石の護摩洞窟、神が降りる岩窟、岩屋の舞台などが在り、約30分で巡って来れます。
護摩洞窟は鳴神上人が竜神を閉じ込めた場所とされ、その為に生じた旱魃と竜神を開放して雨を降らせた物語は、歌舞伎『鳴滝』として演じられています。
その『鳴神』の物語は、鳴神上人が世継ぎのない朝廷に命じられて岩屋山へ籠った祈願により、見事、皇子を誕生させたのですが、朝廷が寺院建立の約束を反故にした為に怒り狂い、呪詛で雨を呼ぶ竜神を飛竜の滝壺に封じ込めて都を旱魃の災いで干上がらせてしまいます。
この災いの呪詛を止めさせる為に、朝廷は雲の絶間姫という美女を鳴神上人の惑わしに遣わします。
その艶かしい女体で上人に迫る妖美な姫は、我が身の肌へ触れる上人に戒律を犯させて法力を弱め、更に力を弱めた故の深酒で上人が眠り倒けた隙に、封印の注連縄を切って竜神を解き放ちます。
そして、空へ昇る竜神は雨雲を呼び、豪雨を降らせて河川を湛え田畑を潤してくれたのです。
豪雨の轟音で目覚めた鳴神上人は急変している事態に驚き、騙された事と肉欲を殺がれた中途半端な情事に烈火の如く怒り狂い、逆立つ髪と炎を噴く雷神の姿で逃げた姫を追い駆けるというストーリーです。
で、追い駆けた後、雷神は姫をどうしたのでしょう?
そのバイオレンスな顛末までは脚本化されていないのでしょうか?
目先の報酬や情事の欲に眩み、緩くなる詰めに警戒を怠ると、権力側に騙し切られるという教訓ですね。