石川県鳥越(とりごえ)大日スポーツセンター(旧大日スキー場)近くに鎮守する五十谷(ごじゅうだに)八幡神社の境内で、逞しい雄大な枝ぶりで聳える大杉です。
樹齢1200年の裏杉(芦生杉:あしう すぎ)で、太い枝の広がりが圧倒されるくらいに見事です。
樹高は39m、幹周は7.9mで石川県内では9番目に太い杉だそうです。
裏杉は日本海側に多く、独特の杢目が美しい杉板になります。
五十谷八幡神社へ至る道は、手前の二又を左へ行くと大日川ダムが在り、神社を過ぎて左へ折れたら以前は大日スキー場だった鳥越大日スポーツセンター、右に折れて一山越えると尾小屋鉱山跡のマインロードが在る尾小屋町、そして小松市の木場潟近くへ通じています。
中世や近世では金山だった尾小屋銅山や金平鉱山へ抜ける神社前の寂しい道は、秘密にされた最重要道路で、何箇所もの関所や詰所に陣屋も在ったのかも知れません。
当時は鳥越から赤穂谷や金平へ繋がる道も、五十谷から尾小屋へ抜ける道も無く、厳しい領主支配の管理下で唯一、五十谷から鳥越大日スポーツセンター、そして、尾小屋鉱山へ至る山越えが採掘して精錬された金銀を城内へ運ぶ最短ルートだったのでしょう。
鳥越大日スポーツセンター辺りの沢も金山谷とされているので、金鉱や砂金の採掘が行われていたのだろうと考えています。
大杉が植わる神社は10世紀初めから550年の間、加賀国の守護職に就いて金沢市の山科で採れる砂金と共に尾小屋の金鉱を財源にする冨樫氏は、治山治水と管理の安泰を願って八幡社(1945年に八幡神社に改称)を創建して鎮守にしたのでしょう。
故に加賀藩の支配期も五十谷は厳重な立ち入り制限がなされ、この辺りまで前田藩主が鷹狩に来ていたのも納得できます。
PS:
八幡神社の上隣りに建つ、犬が吠えて音楽の鳴る怪しそうな納屋と土壁の家は、つなぎ無しの手打ち蕎麦が人気の『登龍門』さんでした。