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遥乃陽 diary

日々のモノトニィとバラエティ

世の中は感動と憂いに満ちている。シックスセンスが欲しい!

栢野の大杉(山中温泉柏野町菅原神社)

1947年10月27日、第2回石川国体へ臨席に来られた昭和天皇が、途中休息した山中温泉の宿から地元の青年の案内で、小雨が降る中を自ら傘を差して歩いて来てまで御覧になり、それで『天覧の大杉』の別名でも呼ばれるようになった、石川県山中温泉柏野(かやの)町菅原(すがはら)神社に聳え立つ杉の大木、国の天然記念物指定名称『栢野の大スギ』です。

説明板には、幹周囲が9m、樹高54mと記され、5m辺りの高さで二又に分れています。

石川県には国の天然記念物に指定された、『三つ又大杉』『御仏供杉』『栢野の大杉』の三本の杉が有りますが、『栢野の大スギ』の樹齢は、近くの菅谷町八幡神社に植わる『三つ又大杉』と同じ2300年で、何か因果を感じます。

境内には他にも三本の大きな杉の神木が聳え、それらは「菅原神社の大スギ」として石川県指定天然記念物にされていて、根を傷めないように檜製の浮橋参道が設けられています。

境内の四本の杉は方形の形で植わる事から、原始の自然林ではなくて植樹されたと考えられています。

古代には海が迫り、海辺沿いや砂丘伝い、それと湿地を抜ける水路の交通が主だった中世まで、この辺りの陸路は山間の峠や山際の丘陵を越えて行く街道しか有りませんでした。

菅原神社の裏の、地元で「うえのかち」と呼ばれる高台には5000年前の縄文遺跡が在るように、古代から多くの人々が湧き出る温泉で病と傷を癒ながら暮らしていた、重要な生活拠点だったと考えられます。

菅原神社横の国道364号線を山へ向かい県境の大内峠を越えれば、福井県坂井市丸岡町山竹田に至り、其処で九頭竜川を渡ると永平寺へ、上流へ行くと勝山市の平泉寺白山神社に着きます。

倶利伽羅峠の戦い篠原の戦いで惨敗した平家の武士達が京都へ逃れて行くのにも、この峠を通っています。

明治に菅原神社と改称されるまで平安時代から菅原社とされ、その前の飛鳥・奈良時代には菅原寺と称されていて、更に弥生、古墳時代は、既に外敵の侵入を防ぐ関所や砦が設けられた攻めと守りの要衝の地になっていたのでしょう。

『天覧の大杉』や『三つ又大杉』は、その頃から育って来たと思うと、見上げて御覧になった植物学者でもある昭和天皇には、とても感慨深いモノが有った事でしょう。

 

PS:

所在地を兼ねる名称の『かや』の漢字は、『柏』の異体字の『栢』で書されています。

ブナ科の『柏』(かや/かしわ)は、端午の節句の供物で食される柏餅を包む芳香な葉の樹木で、古来は実の形を模して偏は『木』で同じですが、旁は『白』でなくて『百』や『斛』が用いられていました。

因みに中国のカシワの漢字は、『槲』(hu/フウ)です。

『柏』(bai/バイ)は、庭木としてよく植えられているセンジュ(千手)のコノテガシワ(子の手柏:ヒノキ科)で、ヒノキ科は柏科と書きます。

カシワの葉は翌年に新芽が出るまで、古い葉が落ちない特性から「代が途切れない」とされて、世継ぎの男子を祝う端午の節句では、塩漬けにした葉で包んで子々孫々繁栄の縁起を担ぎます。

『柏』は、名前の発音が似ている『樫』(カシ)と混同し易いですが、『樫』は常緑樹、『柏』は落葉樹で、葉の形も全く違う別の木です。

柏野……、古代はカシワの木がたくさん植わっていたのでしょう。

 

1947年の夏季(8月22日-24日)と秋季(10月30日-11月3日)に分けて石川県で行われた第二回国民体育大会で、大会歌の『若い力』が制定されました。

それ故なのか、石川県金沢市の小学校の運動会と金沢市内の小学六年生が集う合同体育大会では、ずっと『若い力』の男女合同マスゲームがプログラムとなっています。

あのメロディーと歌詞とフリツケは、今もモチベーションアップの良い意味でのトラウマになっていますね。

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