遥乃陽 diary

日々のモノトニィとバラエティ 『遥乃陽 diary』の他に『遥乃陽 blog 』と『遥乃陽 novels 』も有ります

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戦艦 三笠 1/1レプリカ(閉鎖中の日本元気劇場内:石川県加賀市黒埼町)2018年5月 解体

石川県加賀市黒埼町の『日本元気劇場』跡の駐車場に残っていた『戦艦 三笠』の1/1レプリカです。

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このレプリカは、2009年11月末から2011年X`masまでの2年間に亘ってNHKで放映された司馬遼太郎原作のスペシャルドラマ『坂の上の雲』で、『戦艦 三笠』の艦上・艦内や船体の撮影用に原寸大で製作再現されました。

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ロケに使用された後は、『日本元気劇場』の施設の一つ『戦艦 三笠ミュージアム』として『戦艦 三笠』と日露戦争関連の資料が展示され、再現された艦橋・艦内・艦上は自由に歩き回れて、武器のレプリカなどの装備にも触れる事ができました。

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『戦艦 三笠』のレプリカは撮影用に製作された為に、外観が完全再現されていません。

オリジナルの全長130mは船首から80m余りが再現されただけで、後部砲塔を含めた約50mの艦尾部分は製作されていないです。

それに、放送画面に映らない左舷側の船体側面は艦橋下から後部の支柱が見えるオープン状態です。

それでも、日本海海戦当事を模した外観は明治時代の最強戦艦のリアルな臨場感が漂っていました。f:id:shannon-wakky:20150508210813j:plain

テーマパークのゲート脇には、撮影に使用された内火艇のレプリカも野外展示されています。

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江戸元禄期をモチーフにしたテーマパーク『加賀百万石時代村』(1996年4月~2006年1月)の跡地に、2009年7月から開業していた『日本元気劇場』は、複数のコンセプトでアトラクションと劇場公演を行っていましたが、2013年1月で一時休園しています。

2014年6月現在もゲートから駐車場を含めて閉鎖され、立ち入る事はできません。

ですが時折、広い駐車場を利用して様々なイベントが催されており、その際には『戦艦 三笠』を囲むフェンスまで近付く事ができます。

休園後は殆ど維持管理されていないレプリカの様子は非常に残念で、このままリアルに再現された1/1レプリカが朽ち果てて行くのを防いで、保存管理できないものかと憂いています。

例えば、近隣の片野浜の長者屋敷跡近くで海原を背景に内火艇も一緒に移築して、『坂の上の雲記念公園』とかの名称で新たにの造成した公園のシンボルとして、横須賀のオリジナルのように日本海側で保存(艦尾を増築して左舷側を塞いで、Z旗と軍艦旗を翻して、オリジナルとは逆向きに)できないかと考えていました。

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2018年5月20日(日)森の影になる辺りの駐車場に『戦艦 三笠』の姿は見えません。
残念ながら『戦艦 三笠』の1/1レプリカは解体されました。

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『戦艦 三笠』の1/1レプリカには、形状や高さの寸法が正確ではなくて、大きさも小さめだとの指摘や評価が有りましたが、後部1/3が無い状態の撮影モデルのレプリカにはナンセンスな事です。
『坂の上の雲』の日本海海戦の連合艦隊旗艦の『戦艦 三笠』という事に、存在意義が有ったのです。

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2018年8月2日(木)駐車場には船体の輪郭跡が残るのみです。

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『坂の上の雲』の舞鶴ロケで駆逐艦の代用として撮影に使用された、老朽漁船を改造して製作された内火艇のレプリカは、まだゲートの向こう側に残されています。

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戦艦三笠 艦上構造物の半分以上はレプリカ(神奈川県横須賀市三笠公園の記念艦)

横須賀の三笠公園に保存されている戦艦「三笠」です。

周囲をコンクリートで固められていても、青空に聳える高いマストと陽光に鈍く輝くジャパニーズ・インペリアル・ネイビーグレーの船体色が勇ましいさを感じさせます。

1905年当時、日本海海戦を勝利に導いたイギリス製最新戦艦は思っていたより小さい船でした。

戦闘ブリッジに立ち、見回した三笠は世界最強だった主砲や装甲も物足り気でしたが、「皇国興廃在此一戦」の意のZ旗を掲げて単縦陣の戦艦群の先頭で180度の回答を行い、艦隊の並航戦を交えて行く連合艦隊指令長官の東郷平八郎は男心にカッコイイと思ってしまいました。

古来、一国の存亡を賭ける大きな戦いは、王や軍のトップが自ら率いて戦闘の指揮を執っていましたが、いったいいつから戦争を遂行決定する最高責任者は計画の始動と承認及び結果の批評だけの、実務は部下任せにするようになったんでしょうかねぇ?

日本海海戦で敗北して制海権がロシアに握られたまま日露戦争に負けていたなら、現在の日本はどのようなの状態になっているのでしょう?

窮乏から復興して今も戦争を繰り返しているのでしょうか?

それとも全然違う平和が訪れているのでしょうか?

ブリッジの指令長官の立ち位置プレート近くに残る弾片痕を見ながら、ふと「if」を考えてしまいました。

勝利に導いた殊勲艦の戦艦「三笠」は、ワシントン軍縮条約での廃艦除籍後に記念公園として固定されていたのに、敗戦後のソビエトの解体要請やアメリカ指導平和主義の真に受けで、ダンスホールや水族館にされるがままにスクラップにされるところを、イギリス人の嘆きによって再び記念艦として整備され、現在に至ってます。

荒廃を嘆いて保存を訴えてくれたイギリス人で貿易商のジョン・S・ルービンさん、執筆本で復元保存資金の寄付をしていただいたアメリカ海軍のチェスター・ニミッツ提督さん、お二人にサンキュー・ベリー・マッチです。

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木漏れ日?の中を飛ぶ(香港-大阪の国際空路にて)

香港空港から関西空港への国際線高度に上昇中の6000m辺りで機体を包んだ木漏れ日?は、上空の厚い雲の隙間から差し込んで来て、下方の曇り雲の切れ目に広がった群青の海原を背景にして白い筋に見えました。

太陽を源として発せられた光線は、雲間を通して地表へ放射状に広がるのですが、この木漏れ日は下方の一点に纏まるように差し込んでいました。

しかし、これは光の筋なのでしょうか?

それとも、雨か雹のような何かが降り注いでいるのでしょか?

木漏れ日のような中を飛びながら通常とは逆に広がる光線に目を凝らしていましたが、不思議な光の筋の正体は分かりません。

その後もウインドーガラスの擦り傷かもと、いろいろ方向と光の向きを変えて見てみましたが、それらしき掠れ傷や模様も無く、この時以外に見る事は有りませんでした。

写真の日は曇り雲と雨雲の二つの雲の層だけでしたが、晩秋から春先の雨や雪の日は、国内線の高度8000mの高さまでに層積雲(曇り雲)、乱層雲(雨雲や雪雲)の暗く厚い雲の層と、高積雲(羊雲)の軽い層が広がり、更に上空の国際線の高度11000mまでの間には、卷層雲(うす雲)や卷積雲(鱗雲とか鰯雲)が薄い層を成しています。

そして、吸い込まれそうな青さの成層圏には、純白の卷雲(筋雲)だけが刷毛で掃いたように美しく描かれていて、フライトの度に楽しく見ています。

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京都最強の魔所、岩屋山金光峰寺志明院(京都市北区雲ヶ畑)

京都市北区雲ケ畑、賀茂川の源流の地を封じる岩屋山金光峰寺志明院です。

京都で最強の魔所『魑魅魍魎の最後の砦』とされ、司馬遼太郎がサンケイ新聞の宗教担当記者当時に此処を取材して発表したエッセイ『石楠花妖話』に、志明院に宿泊した時の怪奇現象に悩まされたエピソードが綴られています。

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それには、一晩、本坊を見下ろす茶室に泊まることになったのでしたが、夜の11時頃に障子の桟を力任せにゆする音で目が覚め、屋根の上でもシコを踏むような大きな音が聞こえ始めて、夜通し騒がしい妖怪に眠れなかったそうです。

院主によると三種類の物の怪が出るそうで、一つは山中に灯る竜火、二つは山頂の天狗松の辺りから殷々と響いてくる天狗の雅楽、そして三つは妖怪の騒ぎだと記されています。

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寺伝には650年に役行者が創建し、829年に弘法大師が再建したと有り、また最盛期には40件以上の宿坊が谷間を埋めていたと記されています。

空海が開眼した不動明王像は本堂に、菅原道真の手彫りした眼力不動明王像は奥の院に安置されています。

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写真撮影が禁止される魔を封じた楼門より奥の地は、石楠花の群生、岩洞から湧く清水、水源から岩肌を流れ落ちる滝、巨石の護摩洞窟、神が降りる岩窟、岩屋の舞台などが在り、約30分で巡って来れます。

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護摩洞窟は鳴神上人が竜神を閉じ込めた場所とされ、その為に生じた旱魃と竜神を開放して雨を降らせた物語は、歌舞伎『鳴滝』として演じられています。

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その『鳴神』の物語は、鳴神上人が世継ぎのない朝廷に命じられて岩屋山へ籠った祈願により、見事、皇子を誕生させたのですが、朝廷が寺院建立の約束を反故にした為に怒り狂い、呪詛で雨を呼ぶ竜神を飛竜の滝壺に封じ込めて都を旱魃の災いで干上がらせてしまいます。

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この災いの呪詛を止めさせる為に、朝廷は雲の絶間姫という美女を鳴神上人の惑わしに遣わします。

その艶かしい女体で上人に迫る妖美な姫は、我が身の肌へ触れる上人に戒律を犯させて法力を弱め、更に力を弱めた故の深酒で上人が眠り倒けた隙に、封印の注連縄を切って竜神を解き放ちます。

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そして、空へ昇る竜神は雨雲を呼び、豪雨を降らせて河川を湛え田畑を潤してくれたのです。

豪雨の轟音で目覚めた鳴神上人は急変している事態に驚き、騙された事と肉欲を殺がれた中途半端な情事に烈火の如く怒り狂い、逆立つ髪と炎を噴く雷神の姿で逃げた姫を追い駆けるというストーリーです。

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で、追い駆けた後、雷神は姫をどうしたのでしょう?

そのバイオレンスな顛末までは脚本化されていないのでしょうか?

目先の報酬や情事の欲に眩み、緩くなる詰めに警戒を怠ると、権力側に騙し切られるという教訓ですね。

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竹林の小径の踏切側を真冬に歩く (京都市右京区嵯峨 天龍寺の北側)

京都市嵯峨、天龍寺の北側に在る竹林の中を通る小道で、こちらは野宮神社からJR山陰本線の踏切を越えて嵯峨市営住宅へ抜けます。

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道と素朴で趣きの有る竹穂垣で仕切られる左右の竹林は、全てお寺や神社の境内になっていて、勝手な出入りは憚られています。

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竹穂垣には小さな穴が幾つか開けられていて、ここを抜けて猫やイタチなどの小さな獣が道を渡る様を思うと楽しいです。

小さな穴は幼児が入れても、大人が通れる大きさではありませんので気を付けて下さい。

今も京都には、あちらこちらに魔境が在るみたいですから……。

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静かで寂しげな竹林の道は映画やドラマやCMのロケ地として有名で、近年はアニメ『空の境界』のヒロインの実家周辺の設定や、とあるライトノベルに告白の地としても登場しています。

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近くに京福電鉄の嵐山駅が在るので、嵐山天龍寺の竹林の小径と紹介される事も多いのですが、渡月橋の南袂側が嵐山で、天龍寺の在る北袂側は嵯峨野の地となります。

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このタイムリープして過去の自分に戻れそうな竹林を通る小径を歩く度に、金沢市の野田山の麓から泉野にかけて広がっていて今はホンの僅かしか残っていない竹林を、当時から風致地区として残せて整備をしていれば、寺町の寺院群の裏手に趣きの有る散策路として観光化できていたのではと、ノスタルジーに思ってしまいます。

 

 

 

 

 

 

鯛茶漬けを美味しくいただく (京都市嵐山「鯛匠 HANANA」)

渡月橋から天龍寺に京福電鉄嵐山駅と過ぎて、もう少し歩くと通りの右側に垂れる白い暖簾が目印の「鯛匠 HANANA」で、京都へ来る度に鯛茶漬けのランチをいただきます。

胡麻ダレへ盛られた真鯛の薄造りに、御櫃で供される御代わり自由の白御飯、それと月毎に変わる煮物や焼き物などの二品とデザート、香の物も付いてたっけかな…。

崩すのが勿体無いような真鯛の薄造りは、最初に胡麻ダレと山葵を絡めた刺身で、次は胡麻ダレをたっぷり浸した真鯛の漬け丼にして、そして締めに煎茶を掛けた御茶漬けにして食べると、いっそう美味しくて満足感いっぱいです。

これをセオリーにして大抵、バラけた自由な順番で御飯を三杯は食べてますね。

鯛茶漬け専門店なので、11時の開店後は終業まで同じメニューです。

美味な品揃えに清楚な雰囲気から御代はリーズナブルだと思っています。

帰りは渡月橋の袂で二つ店から桜餅を買い、京福電鉄か阪急電車に乗って川原町経由で京都駅か宿泊ホテルへ戻るのが、いつものパターンになっているかな。

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上海で本場のたこ焼きを食べた (上海市地下鉄 北新泾駅の『じゅうぼう』

上海で食べた嬉し涙のタコ焼きです。

上海地下鉄の北新泾駅地下通路で見付けたタコ焼き店で、寒さしのぎを目的にどうせマガイ物と高をくくって食べたのが、メッチャ美味しくて驚愕しました。

店の名は『じゅうぼう』で、近畿に単身赴任していた頃に何百回も食べた本場大阪のタコ焼きの味でした。

アツアツ、フワフワ、ホコホコのこってりソースで半端無く旨かったです。

降り掛けた花削りの鰹節に青海苔の粉、中のタコもしっかりデカイのが嬉しいです。

視界にはテーブル上のタコ焼き、鼻腔を通る懐かしいときめきの匂い、口の中はアツアツ感と幸せ風味でいっぱい、火傷しそうな舌と口の天井に目をシロクロさせる脳内は、もう郷愁の日本近畿世界が広がっていました。

一箱六個入りで十元(現在レートで約160円)、協力会社へ訪問途中で時間の無さに一箱しか食べられませんでしたが、急ぎ食べ終わった後、次回は観光ついでに、ゆっくりと二箱は食べたいと心に誓うのでした。

同名ロゴの店は熊本市に在りますが、ネットにホームページが無くて関係などの詳しい事は分かりません。

ですが、そこの上海店のような感じでした。

グルメ紹介ウェブで熊本のお店は、お好み焼きで有名みたいですね。

タコ焼きもメニューに有るようなので今度、熊本へ食べに行きたいと考えています。

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