遥乃陽 diary

日々のモノトニィとバラエティ 『遥乃陽 diary』の他に『遥乃陽 blog 』と『遥乃陽 novels 』も有ります

世の中は感動と憂いに満ちている。シックスセンスが欲しい!

千年鉄魂(打樹花/火龍鋼花):溶けた鉄をブチ撒ける火花ショー

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 2019年8月23日 金曜日、新たに赴任した山西省晋城市の工廠で、『今晩は、花火を観るディナーショーで顧問の歓迎会をします。ぜひ、参加ですよ!』と誘われて、出席した晩餐会の後のショーは、想像して(中国の、こんな内陸の地方都市でド派手な打ち上げ花火なんて、有るのかいな?)と思っていた花火は、想像以上の激しさで、慄いてしまった!

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 ショーの会場は、城壁のような高い壁に囲まれた水辺も有る陸上競技場ほどの広さのステージを観る階段状の観客席には、3000人くらいのオーディエンスが座っていてビックリです。
90分のショーの前半は集団演技と合唱です。

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 後半は、集団演技の後方で火を持つ人達が動いているので、いよいよ花火を上げるのかと期待していたら、なんと、爆発するような大きな光が瞬き、奥のコンクリートの広場に花火の火薬ではない、無数の大きな火花が上がるのでした。
(これは……、なに!?)

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 初めは何の火花か分かり難かったのですが、よく見ていると、柄杓に溶けた鉄を入れて力任せに大きく高く広げてブチ撒けているのでした。

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 鉄の融点は1538℃、溶けて沸騰する状態を維持する1600℃まで過熱した比重7.85の重い鉄をブチ撒けるのは、豪快で華々しくて凄く綺麗です。
 柄杓に1ℓが入っているとすると、重さは約8kgで、これを何度も汲んで派手にブチ撒ける。
 沸騰する鉄は、線香花火のように火花を迸りながら床に落ちて弾け、1600℃に触れたコンクリートも膨張爆発して更に鉄を飛ばします。

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 火花の演出を行う職人達は、伝統服のようにデザインしなおした最新の耐火服を着込んでいますが、耐えられるは500℃までです。
 もしも、足許や手許がブレて、溶融した重い鉄を腕や足に浴びようものなら、骨まで蒸発させる極度の深層火傷となって、その部位から先を切断するしかなくなり、例え、肉を抉るだけで済んだとしても、治癒には何年も掛かり、部位の機能は完全に戻らない。

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 そんな物凄く危険な鉄の火花ショーですが、鮮明に美しく、ド迫力でした。

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 この千年鉄魂のショーの元祖は、山西省の東南隣に在る湖南省で600年前の明代に始まった打樹花という、春節(旧正月)の御祭りでのパフォーマンスです。

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 600年前の春節で貴族達は花火で新年を祝っていましたが、当時は花火が高価で、庶民達は旧年の憂いを晴らす華やかな祝いを行えませんでした。
 そこで、花火代わりになる憂さ晴らしを、鉄鋼職人達が鉄の火花で代用できないかと着想したのが、溶けた鉄を煉瓦塀にブチ撒いて迸る打樹花です。

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 山西省と湖南省の省境には岩山が連なる太行山脈が在って鉱山が多いですから、当時から工程が面倒で危険な火薬よりも、踏鞴を踏んで鉄鉱石を溶かすだけの鉄の方が、量が多くて安かったのでしょう。

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 打樹花は春節に行われる新年の祝いですが、千年鉄魂は広大な飲食店の敷地内の舞台で、毎日催されています。

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 千年鉄魂が催されるのは、司徒小鎮という広い鋼材会社の跡地を利用した、舞台の他に大きな建物の中と外に古都の路地を模して飲食店と土産物屋が並ぶ高級中華レストランで、航空写真地図を見ると、以外と赴任地の工廠から近いです。

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PS:
 工業高校の機械科の実習で、屑鉄を溶かしたキューポラから出した鉄の湯で柄杓を満たして、自作した砂型へ慎重に運んで注ぎ、何を作ったのか忘れましたが、鋳造していたのを思い出しました。
 柄杓は重く、溶かしても鉄は鉄、熱くて重かったです。

川棚海軍工廠・石木地下工場跡へ行って来た(父親が従事していました)/長崎県東彼杵郡川棚町 2019年2月2日

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昭和3年(1928年)6月生まれの父親が、金沢市立工業学校(金沢市立第一工業学校)4年生(16歳)から海軍軍属に召集されたのは昭和19年(1944年)12月の初めでした。

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金沢駅で国鉄の列車に乗り込む時に父親(爺ちゃん)から二日分の握り飯を持たされて、途中、進路前方の空襲を避ける2回の臨時停車をしながら佐世保駅に到着しました。

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召集先は長崎県の海軍佐世保施設部で、入所時(軍人は入隊ですが、軍属なので入所です)の新兵訓練は正規の3ヶ月を2週間に短縮されて、海軍針尾訓練所で行われました。
入所時の試験は数学のみで、父親の成績は入所同期のトップだったので班長に任命されたそうです。

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班長の役割は、教官との連絡や伝達事項、朝礼や教練の号令や点呼、丘の中腹に在る訓練所から麓の市街まで往復する駆け足の先頭、朝の海軍体操を壇上に上がって号令を掛けながら行う、などでした。

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訓練期間終了後の12月下旬に通達された任地は、佐世保海軍施設部工員養成所でした。
直ぐに着任した佐世保海軍施設部工員養成所は、建築科50名弱、土木科50名弱、機械科20名弱の学科構成で、生徒は高等小学校卒業後(尋常小学校6年と高等小学校2年)の13、4歳の少年達です。
所長は海軍少佐で、教師が建築科と土木科が各2名、機械科が1名で、父は機械科の最年少教師として赴任しました。

講義した内容は主に発動機(内燃機関)の構造と取り扱いでした。
朝昼晩の食事は職員食堂のテーブルの末席で、年配の上官職員達と一緒に食べていたと、少し自慢気で語っていました。

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この工員養成所の裏山の反対側には、相浦の石炭火力発電所が在り、24時間フル稼動していても灯火管制により、夜は真っ暗で、裏山からの遠謀では所在が分らなかったそうです。
発電所は擬装されていないので、昼間は上空を通過する敵機から見えているのにもかかわらず、終戦まで爆撃されなかったのは、戦後処理に必要だとのアメリカ軍が判断していた御蔭だろうと言っていました。

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佐世保海軍施設部工員養成所の解散と転属は、当初、父親の記憶では3月末か、4月初頭でしたが、工員養成所の裏山へ登り、空襲で破壊炎上する佐世保の街や港を見ていた事、空襲時に工員養成所の防空壕の奥へ生徒達を避難させて、自分は筵掛けの入り口前に胡坐を掻いて座っていた事、そして、其の近くで炎上の熱気で舞い上がった被災家屋のトタンがガラン、ガランと幾枚も落ちて来た事、などの鮮明な描写の記憶から、養成所の解散は、6月28日深夜12時近くから6月29日午前2時頃まで続いた、141機のB29に因る死者1240人以上の佐世保大空襲の後、空襲で被災した佐世保の市街の焼死体が燻る通りを歩いていた事からも、6月末日か7月1日だと判断されます。

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工員の養成期間は正規の1年間から3ヶ月の極短期間で終了したのではなく、6ヶ月に半減短縮されたのでした。
解散閉鎖理由は、戦況の悪化で本土決戦が避けられなくなり、最前線となる九州に敵の上陸が切迫している状況に、上陸を阻止する水際撃滅防衛の拠点の完成を急がせる為、工員養成所の生徒と教員は、九州各地の防衛拠点を構築する施設部隊へ、生徒達は雑用補助として、教員達は技術軍属として、転属させられたのでした。

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工員養成所の解散閉鎖に伴い転属させられた川棚施設部隊で父親は、海岸縁に在る広大な川棚海軍工廠の製造設備を、空襲被害を避ける為に疎開移転させるトンネル工事に従事して、工事に必要な削岩機、コンプレッサー、車両などの機械設備の管理助手を担当していました。

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直属の上官は、新潟県長岡市出身の24、25歳くらいのミチシタ(道下?)という技術少尉でした。
部下の面倒見の良い上官だったそうですが、終戦後の後始末をしていた9月の或る日、『帰る』と言って長岡市の家へ戻って行って仕舞いました。

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転属時には既に多くのトンネルが、川棚町の北側の風南山の山際、浦河内地区と岩屋郷と石木郷の山際に掘られていて、移設された工作機械が稼動し、川棚海軍工廠で製造されていた91式航空魚雷が、毎日1本完成していると知らされたそうです。

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移設すべき設備は多く、終戦までの2ヶ月半は昼夜休みなくトンネル工事が行われ、発破(ダイナマイトの爆発による岩盤破砕)で出たズリ(岩屑や石片の土砂)は地元の女学生達が運び出していました。

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施設部隊は48、49台の豊田製のトラックを保有していたが、昭和20年7月初めの着任時には、既に動かすガソリンが不足していたので7、8台だけを稼動させて、他の車両は順次、木炭、石炭を不完全燃焼させて発生する一酸化炭素のガスを空気と混合させて爆発させる木炭自動車(一酸化炭素ガス燃焼機関)にする為のガス発生炉、冷却器、清浄機、水蒸気発生装置を取り付けて改造しました。
(木炭車を始動させる時は、密閉した車庫内では不完全燃焼で発生する一酸化炭素に因って中毒事故死するので、通気の良い場所や屋外に駐車して行わなければならないです)

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7月末頃には、ガソリンの枯渇で稼動していたトラックも、全て木炭車に改造してしまいました。
当時の改造では、完全に不純物を濾過、分離除去できなかったので、燃焼爆発は多くの煤を出し、其の爆発力も弱く非力でした。
故に、木炭車に改造されたトラックは馬力が小さくて、ガソリン仕様の半分以下の量しか運ぶ事ができませんでした。

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アメリカの乗用車のキャデラックも木炭車に改造したが、エンジンのシリンダー径とピストン径の隙間が非常に小さいので、其処へ入り込む燃焼の煤が通り抜けずに付着してしまって、試乗の途中で止まってしまったのを、同乗していた曹長さんが念の為に一升瓶に入れて持って来ていたガソリンを、キャブレターを繋ぎ直したエンジンに少し注ぐと残りは燃料タンクに入れて、そして、乗車していた皆で押し掛けをしたら1発でエンジンが噴け上がり、アメリカと日本の工業力の差を体感したそうです。

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川棚海軍工廠は終戦まで爆撃されませんでしたが、川棚の町は町内を大村湾へと流れる川棚川に架かる川棚鉄橋がB29の爆撃で破壊されました。
爆撃の被害は、鉄橋近くの馬車馬小屋や芝居小屋が爆発の衝撃と爆風で倒壊してしまい、多数の馬や芸人や地元民が死傷して、死者だけで70人に及んだ事を、被害現場を見て来て知ったと言っていました。

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破壊された鉄橋は地元民や鉄道保線業務者や軍属達の人海戦術によって、橋桁の残骸を撤去した後、罅割れた橋脚の周囲へ枕木を積み上げて補強してから、新たな橋桁を掛けて、10日足らずで鉄道の運行が再開されたそうです。

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川棚海軍工廠が爆撃されなかった理由に、戦争中は、『移転して中が空だと思われているからだろう』と、終戦直後には、『アメリカ軍がビール工場だと誤った認識をしていたそうだ』と、噂されていた様ですが、実際には、工廠内の各棟の役割を明記した詳細な航空地図が作成されていました。
ですが、航空機工場、港湾設備の戦略目標への爆撃、主要都市の中小工場や家内製手工業を撃滅する無差別爆撃が優先されて、戦争継続意思を余り殺がない様な戦術武器の生産量が少ない製造工場への爆撃は、優先度が低く、結果、終戦まで爆撃を免れていただけなのです。

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川棚町と長崎市の中間に在る大村市にも、父親は工事設備の貸し出し管理に行っていました。
大村市に在る最新鋭の局地防空戦闘機の紫電改を製造して各種航空兵器の修理も行う第21海軍工廠と、特攻隊の発進基地として大きな航空戦力を有する海軍大村飛行場は、最優先戦略爆撃の目標とされて、5日に3回はB29の編隊が大量に大型爆弾を降らせ、近海まで接近して来たアメリカ海軍機動部隊からの艦載機も頻繁に襲撃を繰り返していました。

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父親が監督と管理担当をしていた機械設備は、大村飛行場から航空機を避難させる退避路を造るのと、その為に強制排除させられる家屋を倒壊撤去するのに使用されていました。
強制排除の作業は防空壕に飛び込みながら空襲の合間に行い、3、4本造られる退避路の造成計画の妨げる位置に在った家屋は全て除いたそうです。

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大村市を爆撃するB29の編隊は帰路を兼ねた西から東へのコースを、高度8000メートルで偏西風に乗り、高速で通過爆撃して行きました。
この編隊を川棚町の風南山や周辺の山頂に配置された高射砲郡が向かえ撃つのですが、真昼の打ち上げ花火の如く、砲弾が炸裂して煙玉の漂う高さは6000メートル辺りで、B29が飛ぶ高度には届かなかったのです。
それでも撃ち上げるのは、より精密な爆撃標準によって甚大な被害を受けない様に、B29を低空で浸入させない為でした。

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軍属として召集されて作業に従事していた昭和19年12月から昭和20年12月まで、見聞き体験の記憶は鮮明なのに、季節の寒暖は、毎日が緊張する精神状態で、特に寒さは感じてなく、覚えていないそうです。

しかし、新型爆弾が落とされたと聞いて見た長崎市の方は、湾向こうの低い山並みの上に棚引く雲の下側が仄かに赤く、其の8月9日の正午頃は、暑かったと言っていました。

長崎市に投下された原子爆弾は、炸裂音も、閃光も、降る雨も、離れていて無かったそうです。
また、午後には、川棚海軍病院へ大火傷で全身包帯巻きにされた30人程の人達が、トラックに乗せられて来た事を聞いたそうです。

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戦時中は、戦災を全く受けなかった金沢市でも、戦況の悪化に伴い地元で得られる農畜産作物や魚介類以外の食料を得るのは困難で、必要最低限を得る為に着物や貴金属類と物品交換をしなければなりませんでした。
そんな状況から戦況を察しても、報道は転戦で戦線を移動と書き、撤退、後退と表現される事は有りませんでした。
華々しく露と消える玉砕記事と高空を通過するB29の編隊から、『日本は負けるかも知れない』と言葉にするだけでも、不敗の皇軍、不滅の日本、神憑りの最終勝利を頑なに信じる親兄弟や親族、隣組や国防婦人会などの地域組織、特別高等警察や憲兵隊に拠って『敗北主義者』、『非国民』のスパイと非難、弾劾されて、逮捕され、尋問と拷問が繰り返される社会だったのです。
人権は白紙と化し、ストライキのサボタージュやエスケープの脱走は、死罪にもなる重罪でした。
そして、殆どの臣民は、唯一得られる報道記事から、8月15日正午の玉音放送で終戦を察するまで、天皇が統治する神州不滅の大日本帝国が負けるとは、少しも思っていなかったのです。
父親も、戦況は不利のようだけど、敵が来たら戦うしかないと覚悟して、大日本帝国が降伏するとは思ってもいませんでした。
終戦は、御知らせを聞くような無感動で、これで家に帰れると思っただけだったそうです。

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終戦後は進駐軍へ渡す設備の整理と作業途中状態の後始末を、寝泊り出来なくなった海軍の作業管理所から川棚町内の松尾鍼灸院での下宿に移って行なっていました。
施設生活では、常に虱とダニと南京虫に悩まされていたそうです。
食事は作業所の面会所に用意されているのを食べ、風呂も其処で入りました。
下宿先では女学生だった長女の勉強を教えたり、幼い男の子達をオンブしたりして面倒をみていた事もしたと言っていました。

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管理設備の後始末が済み、昭和20年12月下旬に川棚の町から金沢市へ国鉄の列車で戻る途中、乗り換えの大阪駅で北陸線の列車を待つ間、ほんの僅かの隙に脇に置いていた、土産や写真を入れていた風呂敷包みが置き引きされた事を、悔しそうに話してくれました。

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金沢への列車の車窓から見る、九州の市街地と山陽の市街地と近畿の市街地の多くと、福井県の敦賀市と福井市の市街地が、爆撃で灰燼と化した焼け野原なっていて嘆いていたので、海軍の小松飛行場や小松製作所が在る小松市や陸軍の軍都の金沢市も同様だろうと覚悟したいたのですが、石川県の市町村は金沢市や小松市を含めて全く(機雷被害の七尾市を除く)戦災を受けていない平和な日常のままだったに、とても驚きながらも安堵したそうです。

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父親にとって、其の1年間の記憶は鮮明で、新兵訓練、機械科教師、技術軍属の作業、爆撃、機銃掃射、砲撃、などの戦争経験は、それほど深く刻まれたのです。
私の16歳から17歳は、高校1年生と2年生の時ですが、あの頃の出来事や思いを月単位で記憶していません。

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訪れた川棚海軍工廠疎開壕跡は、跡地の説明板は設置されていましたが、封鎖された廃坑の様な状態で、町並み近くに存在する太平洋戦争の軍事遺構として、反戦的な観光資源への活用が全く為されていないのには、思春期の父親の記憶に深く刻まれた戦争の場所という事も有りますが、非常に悲しい事だと思います。

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百年の孤独 2019年2月の焼酎屋のチョコレートボンボン (黒木本店:宮崎県高鍋町)

2019年のバレンタインディー(2月14日 木曜日)に妻からプレゼントされたチョコレート『焼酎屋のぼんぼん』は、例年の『百年の孤独のチョコぼんぼん』とは違っていました。

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期間限定商品らしく、冷蔵庫(10℃以下)の保存で賞味期限が2月28日までです。

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「お召し上がりの際は室温に30分~1時間ほど戻して頂けますと、より美味しく召し上がり頂けます」と、箱裏に貼られたラベルに記載されていますが、これは空気調整機器を設置して過ごし易い適温にさせた室内での事で、空調の無い真夏日では30分を待たずに融解して仕舞いますし、真冬日では硬化した外殻すら噛み砕く事が出来ないかも知れません。

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例年プレゼントされる砂糖の内殻が無くて、たっぷりと『百年の孤独』の麦焼酎が入った丸いチョコぼんぼんの8個入りとは違い、サイコロのような立方体のチョコが6個入った、『焼酎屋のぼんぼん』を頂きました。

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上面を細かい鰐皮のような3D鱗模様で拵えた6個の立方体のチョコは、2個ずつ、『百年の孤独とヘーゼルナッツのミルクチョコレート』、『宮崎マンゴーのジュレと百年の孤独マリアージュ』、『高鍋で育てた麦の実を使ったプラリネ』と三つの味が、パッケージの中に分けられて並んでいます。

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『百年の孤独とヘーゼルナッツのミルクチョコレート』は、烏賊墨のように黒っぽい外殻をパリっと噛み砕くと、中には百年の孤独を練り込んだ明るい茶色の軟らかいミルクチョコレートが包まれて、百年の孤独の上質なウイスキーのような香りとヘーゼルナッツの風味が鼻を擽ります。

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ワインレッドのような赤っぽい外殻の『宮崎マンゴーのジュレと百年の孤独マリアージュ』の中には、マンゴーのゼリーと柔らかい百年の孤独のチョコが層を成して、噛むと混ざり合う二つの香りと風味が添い遂げるみたいに口の中に広がります。

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『高鍋で育てた麦の実を使ったプラリネ』のマホガニーのような赤茶っぽい外殻の中には、しっかりした軟らかさの百年の孤独のチョコがカラメル状で詰まり、その中に5、6粒の麦の白い実が入っていて、歯応えの有る食感と不思議な風味の味わいです。

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(白い麦の実は、麦焼酎『百年の孤独』を仕込む株式会社黒木本店が在る、宮崎県高鍋町で育成する麦だそうです)

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三つの味は、どれも気持ちが楽しくなる美味しさで、バレンタインディーにプレゼントしてくれた妻に心から感謝です!

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チョコボンボンの中身は液体状の酒だと私的に拘りが有るので、『百年の孤独チョコ』と書いていますが、この『百年の孤独』とコラボレーションした独特の美味しさのチョコレートを作ったのは、博多の『チョコレートショップ』が2017年にパリのマリ地区でオープンした『Les trios chocolats Paris/レ トロワ ショコラ パリ』です。

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フランスへ行く機会が有れば、妻と一緒に伺ってみようと考えています。

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弾痕だらけの富盛の石彫大獅子(阿吽じゃないの?)沖縄県八重瀬町

富盛(ともり)、大獅子(うふじし)、八重瀬(やえせ)と発音します。

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神社の狛犬の阿吽と左右の配置は定まっていないようですが、向かって右側が『口を開けて・阿』、左側が『口を閉じて・吽』が多いです。

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『阿吽の呼吸』の絶妙な対処で神仏の神域と聖域を守る、正に『臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前』の『九字』を手刀で胸の前に切り、両手の指で『九字』の印を結んで呼び寄せる『我を守護する者ども、我の前に来たりて陣を張り、我を守り給え』の如く、狛犬達は守護神なのです。

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『誕生時の泣き声を上げる開く口の阿』、『死した時に肉体の全てが止まり声と音が無くなるのを表す、口を閉じる・吽』、これは命を得て魂が離れるまでを意味しています。
つまり、『生きろ!』、『栄えよ!』と狛犬達は前に並び、守護してくれるのです。

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大半は狗像ですが、狐、兎、唐獅子に、正体不明などの対像も有り、鳥居の結界を越えて来る災厄から守護する為に社の直前に据え置かれています。
鳥居が二つ、三つの多重結界と二対、三対の魔除けの狛犬で厳重に守られている神社も多いです。

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寺院の門には大きな阿吽の仁王像が左右に立ち、門を潜る信者達の信心を問うように強く睨み付けて、異端信者や不心得者を排除しようとしています。

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f:id:shannon-wakky:20180627063432j:plain沖縄の家屋の左右の門柱上のシーサーにも阿吽が有ります。

家と家人の安寧を守護し、災厄の侵入を拒む、福は内、鬼は外の守りです。f:id:shannon-wakky:20180627062802j:plain

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阿吽という表記は確かに仏教由来かも知れませんが、阿吽の守護と厄除けの考えは、五千年以上も前の古の神殿や墳墓の遺跡に対の守護神像や獅子像として残されていて、古代から生と死と守りと栄えの象徴とされ、単なる威厳や威嚇の気休めの信心物ではないのです。

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災厄を封じ込める為に災い元を睨んで唸って威嚇する阿吽像と、守護するモノの前に並んで災厄を退け祓い侵入を拒む阿吽像が有りますが、火難の源とされた八重瀬岳へ向いて火炎の災厄から集落を守る火伏せの富盛の石彫の大獅子は、その両方の願いを込めたシーサーです。

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沖縄県の家屋の屋根や塀の上に置かれて、家族と家財を守るシーサーの多くや、全国で見られる辻通りや屋根隅に置かれて災厄を祓い安全安心を願う魔除けの像や地蔵や道祖神は殆ど単体で、阿吽の対では有りません。

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西洋のゴシック建築には大抵、屋根の角に配されて雨水を落とす吐水口(樋嘴/ひばし)を兼ねている悪魔祓いの像のガーゴイル(gargoyle)も対ではなくて単体で、集まる雨水をガーゴイルの口から落水させて、建物を守護する四隅角へ配置された獅子像を潤わせるように受けられています。

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醜くて恐ろしげな姿のガーゴイルは、奈落から地面に出て災い撒き散らしながら天上界へ攻め昇ろうとする悪魔を見張る使命を神から与えられた天使で、信心深い人達の味方なのですから、魔除けの意味ではシーサーや狛犬と同じです。f:id:shannon-wakky:20180627065202j:plain

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体高141㎝、全長175㎝の富盛の石堀大獅子は標高92mの勢理城(ジリグスク)跡上に居ます。
彫像された1689年当時は勢理城近くの富盛の集落で火事が続いて、多くの被害と犠牲が発生していました。
この火事現象は、火山(フィーサン)と謂われた八重瀬岳(標高163m)に住まうと崇められていた火の神の暴挙の前触れだとされて、民の安寧を望む琉球王の命令で、火除け、火返し、火伏せを願とした石堀大獅子が勢理城上に八重瀬岳を唸り睨む蟠踞(ばんきょ)する姿で置かれました。

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活火山や休火山でもない八重瀬岳を謂う火山(フィーサン)の意味は、火難の災いを齎す祟り域という事なのです。
当時、多発する火事の元凶が風水の因果で、八重瀬岳に有ると読まれました。

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実際の火事の原因は、火起こしに使ったサトウキビの枯れ柄や枯葉などの始末の不徹底で、燻る火種が再燃して家屋や野畑を焼いていたのです。
蟠踞の時には、既にいい加減な火の始末に気付いた住民達が、消火と防火に徹底し出していて、火事は激減していたのですが、王令で製作された石堀大獅子を「原因が分かったので不要です」とは言えず、民の安寧を気遣う王への感謝の意として奉ったのでした。

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火の神が住まうと崇められていた八重瀬岳(標高163m)へ向けられていますが、神域への直視は避けるという意味で、僅かに左へ軸線を逸らしています。

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この富盛の石堀大獅子は、台座のように見える大きな琉球石灰岩から無垢に彫り出されたのでしょうか?
それとも、他で彫り作られた獅子像を蟠踞したのでしょうか?
別々だとしたら、当時の技術では、どのように安置の接合をしたのでしょう?

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1945年(昭和20年)3月26日、慶良間諸島の座間味島など数島へアメリカ陸軍第77歩兵師団が上陸して始まった沖縄本島域の地上戦は、4月1日朝、本島中西部へ上陸したアメリカ陸軍と海兵隊に、沖縄防衛を担う大日本帝国陸軍第32軍は、内陸部での地下陣地による持久戦で勇戦しましたが、激戦の挙句、兵力の消耗は甚だしく、補充や増強は望めず、遂に、5月27日には第32軍司令部が首里の司令部壕を撤収、本島南端の摩文仁の洞窟壕へ移動しています。
甚だしい兵力の損耗は、反撃する戦力を有する内にと、発令された総攻撃に因るものでした。

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愚作な総攻撃を撃退された以後、那覇、首里、嘉手納などの沖縄本島中西部域で戦い抜くと豪語して本島南部域へ県民を疎開させた大日本帝国陸軍は、激減した兵力の再編成をしつつ、持久戦で頑強に戦い続けていましたが、補充も、補給も無い消耗するだけの戦力に本島南部での転戦続きの防衛となり、沖縄県民を守るという意を翻して、疎開して篭っていた谷間や洞窟や亀甲墓から県民達を追い出して防衛戦線と拠点の構築をする情けない始末でした。
そして、疎開していた県民や地元の住民達を野外や拠点内の雑用係として危険な戦場で酷使し続けて、大勢を死なせています。

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八重瀬岳の断崖上の台地は、帝国陸軍の最重要防衛拠点とされ、勢理城跡の丘は前哨拠点になりました。
八重瀬岳は、険しい急斜面の尖がった頂上の高山をイメージさせる名称ですが、東側と北側が断崖絶壁になった最高標高位置が163mの台地です。
沖縄戦では八重瀬岳の台地や富盛の低地に日本帝国陸軍第24師団と海軍陸戦隊の各部隊が守備陣地を構えていました。

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八重瀬岳の台地上に水場が無い為に集落や田畑は在りませんでしたから、住民が上り下りの為に通る踏み固めた小道も無く、有ったのは僅かに均されて草が生えない程度の獣道だけでした。
そんな不明確な断崖道の中程の洞窟は帝国陸軍第24師団の第1野戦病院の本部壕とされて負傷兵の収容と治療が行われました。
更に断崖道を登った岩陰の貫通洞窟は手術壕になり、多くの重傷兵の外科手術が麻酔無しでなされました。

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その第1野戦病院の第4班と第5班に看護婦補助として配属されて勤務していたのが、縄県立第二高等女学校4年生の16歳から17歳の生徒で構成された白梅学徒看護隊の55名です。

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f:id:shannon-wakky:20180627072621j:plain白梅学徒看護隊は3月24日から従事していましたが、アメリカ軍が迫る6月4日に野戦病院長から「自分の命は自分で守れ」の非情さの解散命令が下され、洞窟壕から出された彼女達は砲爆撃と銃撃に曝される遮蔽物の乏しい戦場を、未だ日本軍が占拠している南部先端域へと悲運な彷徨をしたのでした。f:id:shannon-wakky:20180627073440j:plain

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6月7日に富盛の集落辺りまで接近して来たアメリカ軍は、事前の艦砲射撃、爆撃と機銃掃射、砲兵射撃を激しく実施して攻め登りますが、6月14日の八重瀬岳台地の完全占領までに繰り返された攻撃は、帝国陸軍の特設第6連隊(200名足らず)と帝国海軍の勝田大隊(40名足らず)と丸山大隊(70名足らず)の防戦と反撃によって全て撃退されています。

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勢理城の石堀大獅子の位置へは、6月10日にアメリカ陸軍第96師団第381連隊第3大隊のK中隊とL中隊が進出して、八重瀬岳の断崖下の低地を守備する帝国陸軍特設第6連隊の一部を激しい交戦の末に断崖直下へ撃退しています。

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沖縄戦の記録写真に勢理城の石堀大獅子が写る場面は、6月12日に八重瀬岳台地上へ攻め上がったK中隊とL中隊が帝国海軍勝田大隊と交戦する戦況を、G中隊の将兵が石堀大獅子を盾にして双眼鏡で見守っています。

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写真の石堀大獅子は多数の弾痕や弾片の傷が有ります。
黒ずんでいるのは、砲爆撃の炸裂火炎やナパーム爆弾の火炎を浴びているからでしょう。
もしかして、日本兵の姿に見間違えられて火炎放射をされているのかも知れません。

最前線で、日本兵のほんの10秒ほどの突貫に銃剣で刺殺される距離まで接近する火炎放射兵は、極度の緊張と恐怖から投降する敗残兵や県民と反撃して来る兵士を瞬時には見分けられずに、火炎を放射して火達磨にするしかなかったでしょう。

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背中や右側の丸い銃弾痕はアメリカ軍に因るもので、左側は主に日本軍から、正面は八重瀬岳から狙い撃ちする日本軍からです。
他にも艦砲射撃の大口径砲弾の破片痕、艦載機の機銃掃射痕、砲兵の支援砲撃の砲弾片痕が現在も残っています。

しかし、獅子像には著しい欠損部位や亀裂は無くて、琉球石灰岩の組織結合の強固さが良く理解できます。

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しかし、いかに強度が有る琉球石灰岩の獅子像でも、この大きさならば、戦艦の口径40cmの主砲弾や1t爆弾の直撃で粉砕されるでしょう。

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故に、石彫大獅子像は、1体だけだったのでしょうか?
口を開く『阿』像と対になる、『吽』像は勢理城上になかったのでしょうか?

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東宝映画『沖縄決戦(1971年)』の本島南部の糸満半島へ追い詰められる沖縄戦末期の戦闘場面で、富盛の石彫大獅子を模したと思われる大きさで尻尾の有る(一物も有るように見えます)石の獅子像が、玉砕する守備兵達の陣地に見られますが、その石像は2体有るのです。

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富盛の石彫大獅子は日本軍が強固に守る高台の八重瀬岳に向いていますが、映画に登場する獅子は敵のアメリカ軍の方へ向いていました。
(二体とも『阿』像です)

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尚、本島最南端の荒岬や喜屋武岬の僅かな土地に追い詰められた各部隊や、孤立して奮戦する幾つかの小兵力との通信が途絶し、軍としての組織的戦闘が不可能となった6月19日、第32軍司令部は最後に下達した勇戦敢闘の命令に、第32軍の参報長が「諸士よ、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」の一項を付け加え、軍司令官が黙認して署名しています。

これは、『大儀の為に死ね。生き残るのは恥だ!』という意味で有り、戦争に勝てないなら大和民族、いや天皇陛下の臣民は『自決して絶滅すべき!』の、当時の軍国主義の大日本帝国臣民全体に浸透していた意識でした。
その意識へ大日本帝国臣民全体を導いたのは、大日本帝国の断固戦争を遂行させようとする統治管理機構と狭隘思考の職業軍人達と拝金主義と利権欲の財閥達でした。

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『生きて虜囚の辱めを受けず……』は、戦陣訓の第八項で、1941年(昭和16年)1月25日に陸軍省が検閲済にして正式発行しています。
当時の東条英機陸軍大臣が自ら認めて定めた戦陣訓を録音して、大日本帝国の軍人と臣民に広く知らしめています。
1943年(昭和18年)5月25日に全滅(実際の玉砕突撃は5月29日)したアリューシャン列島のアッツ島守備隊を報じた朝日新聞の見出しには、『一兵の増援求めず、戦陣訓を実践、夜襲を敢行、壮絶玉砕』と、一兵も生き残らない全滅するほどの悲惨な敗北なのに、戦意を高揚して戦争遂行の徹底へと誘導する記述がなされています。
大日本帝国陸海軍は終戦まで生きて虜囚になる事を認めておらず、大本営は戦況が絶望的なアッツ島の放棄を決定すると同時に守備隊へ玉砕を命じました。
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沖縄決戦の終焉は、6月23日、アメリカ軍の摩文仁地区の殲滅占領で第32軍司令官と参報長の自決した為に司令部の防衛指揮系統は消滅して、戦闘を継続する防衛組織としての沖縄の日本軍は壊滅しました。
そして、まだ、小人数の日本兵の抵抗拠点は残るものの、実質的に連合軍の沖縄攻略戦のアイスバーグ作戦は終了しました。

それなのに、8月15日に大日本帝国が無条件降伏をするまでの掃討戦で、数多くの敗残兵と県民が自決して亡くなっています。

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日本の歴史上、1944年(昭和19年)9月から1945年(昭和20年)8月までの1年間は、重大な過ちの判断が続けられて実行された最大の恥の期間でした。

この恥の1年間を後悔して反省する口述や記述を行わないままに13階段を昇った、国を滅ぼす礎に為り損なったA級戦犯達は、興国の犠牲になった御霊を弔う靖国神社へ合祀すべきではないでしょう。

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守護を願った石彫の大獅子に無数の弾痕傷が刻まれた当時の不条理で凄惨な事態を想い、大日本帝国の敗北に因った1945年(昭和20年)8月15日の終戦から今日今後も、日本が歴史の最大の恥を繰り返さない平和な国である事を、改めて心から願っています。

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風月堂のサバラン(金沢市小立野交差点/金沢大学病院前)2017年10月31日閉店

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一時帰国する度に買いに行って、二つ、三つと食べていた大好きなサバラン(サヴァラン?/Savarin)を拵えていた洋菓子屋が、2017年10月31日火曜日を以って店仕舞いしました。

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サバランを拵えていた洋菓子屋の『風月堂』が営業をしていたのは、金沢市の金沢大学病院へ至る変則十字の交差点を中心とした小立野界隈の商店街です。

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金沢市を流れる犀川と浅野川の間にテーブル状になった山の尾の小立野台地が在ります。

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この山の尾の端になる兼六園の東口から天徳院に至るまでの2kmを直線で繋げる石引大通りは、金沢市の北辺の鳴和地域や南辺の平和町地区や南西側の三馬地区のように、金沢城周辺の主要繁華街から離れたサテライト的商業地域です。

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その石引大通りの中心商圏になる大学病院前交差点近くに、お気に入りのメロンを挟んだサバランとパリパリのアップルパイを製造販売していた『風月堂』が在りました。

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『風月堂』が何時頃から小立野で創業されたのかは知りませんが、小学生の時に母が仕事帰りに買って来る以外に自分から所望する事は有りませんでした。

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中学校の登下校路に『風月堂』が在るのですが、並びに在った書店の『イロヤ』や向かいの貸し本屋やバス停近くの文房具屋に寄るくらいで、洋菓子には興味が有りませんでした。

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高校生になっても部活で兼六園傍の護国神社に在る弓道場と石引大通り沿いに在った喫茶店『ミカド』に入り浸って小倉トーストとナポリタンを食うだけで、女子とデートしてもショートケーキをテイクアウトする発想は無かったです。

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それが、『風月堂』のモンブランを妻が買って来てからは、洋菓子が気になり出しまして、以後、出掛ける度にあちらこちらのケーキを買って来るのでした。

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妻と一緒に『風月堂』へ行った時に初めてサバランを買ってからは、そのしっとりと絡む洋酒をメロンがまろやかする奥深い美味さの虜になりまして、仕事で中国に滞在する十数年間は一時帰国する度にサバランを食していました。

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ブリオシュの茶褐色の上皮から覗くメロンの一片の、そのペパーミントグリーンのような彩の爽やかさが、見た目にも美味なる風味を想像させて食欲をそそるのでした。

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なので、お気に入りのサバランが『風月堂』の閉店で、食べられなくなったのは非常に残念です。

石引大通りを歩く事も、滅切と少なくなって仕舞いました。

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サバランはコミック『鉄道少女漫画/木曜日のサバラン』に、女子高校生のヒロインとサラリーマンとその妻のコミュニケーションアイテムとして登場します。
サラリーマンの幼い娘がぶちまけたサバランから身を挺して鉄道模型のレイアウトを守るヒロインの姿に、「サバラン、勿体無ぇ」と思うのでした。
そして、幼子に洋酒入りの洋菓子を食べさせていたら、大丈夫なのかと心配になるのでした。

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これは金沢市に在る別の御店のサバランで美味なのですが、『風月堂』のサバランが懐かしいです。

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ルーツ:
サバランの起源は、オーストリアの焼き菓子だったようです。
その焼き菓子は18世紀後半のポーランドで、スタニスワフ・レクチンスキー王の料理人がババという堅いクッキーのような御菓子にアレンジしました。
スタニスワフ・レクチンスキーはポーランド王に2度もなった人物です。
最初はスウェーデンのカルル王の支持を受けてポーランド王になりましたが、ロシアとの戦争に敗れてフランスへ亡命。
フランスでは娘をルイ王に嫁がせて王室縁故となり、今度はフランスに支持されてポーランド王に復帰するが、それを不服としたオーストリアとロシアの連合軍に敗北して、再びフランスへ亡命。
ポーランド王を退位する代わりにフランスのロレーヌ地方の領主となった、政治運の無い方でした。

でも、ロレーヌを経済発展させていますから、統治能力は優れていたようです。
その産業振興からフランスでもババが食されるようになったのでしょう。
彼の側近や従者達も優秀者揃いだったようです。
そして、いろいろとアレンジされるババの逸話が有りますが、兎に角、洋酒入りのシロップに浸すと、とても美味しくなりましたから、そのようにパリのパティシエ「ストーレー」が、19世紀前半にババを改良して広めたのです。
更に、ストーレーの許で修行していた職人オーギュスト・ジュリアンが、改良されたババをヒントにサバランを作りだしたのでした。
サバランの名称は、19世紀のフランスの美食評論家のブリア・サヴァランへの敬意を表して付けられていたそうなので、きっと、彼から非常に高い評価が得られたのでしょう。

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洋菓子のサバランは知っていますが、ババは知らないですね。

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注意!
サバランには洋酒(ラム酒やリキュール類)が使用されていますので、チョコボンボンと同様に食後の運転は控えなければなりません。
アルコール風味の度数と摂取量は分かりませんが、酒気帯び運転で検挙されかねないので、気を付けましょう。

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WISDOM(アシュラフ・ガファー作)が片隅の壁際へ移設された!(金沢市庁舎前広場)

金沢市が金沢駅から21世紀美術館へ誘う、アートアベニュー計画で実施された「まちなか彫刻作品・国際コンペティション」の第2回(2006年)優秀作品が、アシュラフ・ガファー(Ashraf Gafer).作の『WISDOM』です。

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その、滑らかな漆黒肌の六つ目の頭部を彫刻した『WISDOM』は、金沢市庁舎(金沢市役所)前広場から駐輪場脇の壁際に移されました。

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移設理由は、段差と池が有った広場を賑わい創出のフラットな広場にする為で、最優秀彫刻作品が『障害物』扱いされてしまいました。

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2016年4月~2017年4月の整備工事期間中の仮移設だと思われていたのですが、工事完了後もフラットにされた広場へ戻される事はなく、目立たない片隅の移設場所に置かれたままです。

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作者には移設の了解を得ているそうですが、どんな理由説明をして承認されたのであろう?

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作者のポーランド在住でエジプト人彫刻家のアシュラフ・ガファー氏に立ち会って貰いたかったですね。

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いつまでも邪険に扱うと、サウロンの瞳のようになって『金沢の隠された素顔』の方々に古代ナイルの呪いの眼光を放つかも知れないです。

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『WISDOM』は広々とした白いキャンバスのような庁舎前広場の正面に据えるか、観光資源になりえる場所へ置くべきでしょう。

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広場が改修される以前、『WISDOM』は、庁舎前広場の東南辺の中央に設置されて、その六つの目は広場全体、庁舎前面、庁舎前の広坂通りを見守っていました。

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広坂通りから広場を横切って庁舎や21世紀美術館へ行く時に、漆黒の肌に六つの目の白い眼球と青い虹彩の『WISDOM』は、否が応でも視界に入り、目立っていました。

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それが、広場の改修後も、何も支障が無いと思われる元の場所に戻される事の無い儘、仮置き場だったはずの駐輪場の片隅のに置かれています。

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台座上の高さ155cmの像は、無毛で不吉な黒色の表面の頭部のみ、一つ目の顔面が左右から二つずつ密着して、合計六つの白い眼球の透き通るような青い瞳は180度の視界を持ち、時空を越えて古のエジプトから深く見据えているようです。

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漆黒の頭部全体は、エジプト文明のアヌビス神の壁画のようで、古代アフリカ的な神秘さです。

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この不気味な容姿が、真贋や真実を問うように思われて、作品が視界に入る人達が抱いた畏敬の念を直ぐに恐怖に変えてしまい、避けて通るようにさせたのでしょう。

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ううっ、見られている!
睨まれているかも……。
……疚しいところは、たくさん有ったりして……。
思わず、『ごめんなさい』と謝罪の呟きや、跪き、懺悔の告解をして赦しを請い、犯した全ての罪を浄化しそうになります。

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作品名の『WISDOM』は、『賢明さ』、『知識』、『知恵』、『分別』、『博識』という意味です。

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六つ目、五つ鼻、五つ口、密着した五つの顎と五つの首、一対の耳、一つの頭なので、集合的『賢人』の表現でも有ります。

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なので、金沢市が主催した「まちなか彫刻作品・国際コンペティション」の優秀作品の『賢人』を市役所の自転車置き場の壁際の片隅へ追い遣ってしまった金沢人は、分別の無い浅知恵で乏しい賢明さの愚かな人々になってしまいますね。

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この状態は非常に由々しき事態で、金沢市の見識が国際的芸術観光都市になるに足る資格の有無を問う、大きな問題でしょう。

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金沢市民の一人として、非常に悲しいです。

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『WISDOM』は、ローマ市の嘘を吐くと噛み切る『真実の口』のような、善悪を見極める賢い選択へ導く心眼の象徴になる芸術作品なのです。

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ですから、アシュラフ・ガファー氏に、もう一体製作していただいて、金沢駅東口の鼓門直下に金沢へ来る人達と金沢を去る人達の方の両面へ両面宿儺の様に向いて、邪悪と疫鬼の侵入を険しく拒み、安全と安心の優しさを贈る、そんな象徴像にしましょう。

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自殺願望者に告ぐ、心臓を捧げよ!

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自ら命を絶とうと考えている貴方、無駄に死なないで下さい。
死に救いを求めるなら、死に逝く事に意義と誇りを持たせましょう。
それは、貴方が逃げた、貴方を拒んだ、その忌むべき社会への復讐でも有ります。

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先ずは、臓器提供カードに記入とサインをして、ドナーの意思を示して下さい。

貴方が嫌う、憎むべき現世ですが、ホンの僅かでも良き思い出が有ったのならば、貴方の死を世界に還元しましょう。

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死亡直後の肉体を、生き続けたい、健康な身体になりたい、という人達に提供しましょう。
貴方が得られなかった幸せを捧げましょう。
未来を望む多くの方々が貴方を待っています。

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肉体の部位や臓器を移植に適した状態で提供する為に、出来る限り身体を損傷させないで下さい。
五体が千切れ飛んで肉片と化す、電車や自動車との衝突は止めて欲しいです。

激しく傷付ける高い場所(8階以上)からの落下もダメです。
(7階以下の高さでは、自由落下の衝撃値から頭部を直撃しない限り、即死はせずに、著しい後遺症や酷い肉体部位の欠損になるだけで、死に切れないですよ……)

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一酸化炭素や硫化水素などの細胞組織を汚染する毒ガスの吸引もダメです。
同様に薬物もダメです。

燃焼、沸騰、炭化は論外です。
覚醒剤や麻薬を常用している方は、残念ながら既に全ての部位が使い物になりません。

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脳死状態になるのが望ましいです。
首吊りかな。
ギリ、睡眠薬とリストカットの失血死も有りです。

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脳死後は直ぐに発見されるように、貴方を知っている誰かに知らせておいて下さい。
(携帯電話とパソコンのロックの外し方も)
ブラ下がるなら、病院の近くで人目に付いて、尚且つ最低5分は降ろされない場所にして下さい。
堂々と貴方の死に様を世間に見せ付けて遣りましょう。
ドナーカードと遺書(臓器提供者になる意思も記載する)と自殺意思が解るように靴を揃えておいて下さい。
そうすれば、貴方の身体が弛緩して汚物塗れになる前に、優しく抱き降ろされるでしょう。

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貴方が生前に求めた優しさで、脳死の貴方の身体は丁寧に扱われます。
貴方から提供された貴方の肉体の部位は、貴方に因って未来へ繋がった人達に大切にハグされ続けます。

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そうされるように貴方は望んで願って下さい。

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首が絞まると、最初は息が詰まって苦しいですが、直ぐに圧迫される頚動脈が脳への血流を止めて意識を無くしてくれます。

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死は肉体の復活を拒み、死への刹那の時間で記憶を開放消去します。
貴方のそれまでの人生の全てを逆送りで見せながら、漆黒の闇へと至ります。

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魂は輪廻転生するでしょうが、死後の世界は有りません。
死後に再び廻り逢うとか、天国や地獄も無いです。

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目覚めのない闇が訪れて、それっきりです。

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どんな形でも死は虚しいです。

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できれば、自殺願望を思い留まって、足掻き捲くって生きて欲しいです。
人生は一回ポッキリの神様からの贈り物。
自らではない終焉を迎えるまで、生きる事を楽しみましょう。

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PS:
『自殺者の臓器を移植した人は自殺する』とか、『移植の臓器や部位は、以前の持ち主の性格を記憶している』などの噂は、1990年代後半から2000年代初めにインターネットに流され、現在も真しなやかに転載されているフェイク(捏造された偽記事)です。

臓器の機能細胞の再生増殖は有りますが、移植される臓器の細胞に以前の持ち主の人格や行いが記憶されているなんて、脳の移植じゃない限り、絶対に有り得ない事ですね。

パラサイトなんて、有り得ないです!

インターネット上やフェイク本で拡散されている、それらの稚拙で邪悪な記事は完全に根も葉も無い、全くの嘘っぱちですので、暗黒域を擦り込まれないように、充分に気を付けて下さいませ。

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