遥乃陽 diary

日々のモノトニィとバラエティ

世の中は感動と憂いに満ちている。シックスセンスが欲しい!

炭火焼肉 とく マルチョウ(牛の小腸)が旨い!(京都市のバス停『三哲』の直ぐ近く)

マルチョウの味は10年ほど前に、店前のホルモンの看板に惹かれて訪れた『とく』で、オーダーしたホルモンミックスで知りました。

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其の頃は、七条通りの七条西洞院と七条油小路の中間辺り、大正初期の石造り洋館を使ったパブの斜め向かいに在る営業所で1月余り勤務をしていて、堀川塩小路のホテルからの通勤の行き帰りに視界に入るホルモンの白地に黒文字が気になっていました。

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出勤時は堀川や油小路を上がり、帰りは西洞院通りのスーパーやコンビニで晩飯を買ってしまうのと、一人で一見さんには敷居の高そうな京都のプレッシャーも有って、なかなか入るのを躊躇していましたが、 大好きなホルモンの誘惑には勝てず、静々と訪れてホルモンミックスを注文したのです。

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通されたのは狭いスペースのカウンター席。

防火板を立て掛け、デデーンと炭火の火花が迸る七輪を置かれて、その脇へお冷とお絞りを除け、手前にタレと御飯を並べれば、後は注文した一皿の肉と生ビールのジョッキでいっぱいになってしまう、その窮屈さ!

だけど、この狭い御一人様スペースでチマチマと豪快に焼いて食べるのは、堪らなく自分専用の特別感を持たせてくれて、食べ始めると、全く気にならなくなるのでした。

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ホルモンミックスは焼きタレが付いた三種類のホルモンで、その中の一つが網の上で炙られると直ぐに油を滴らせて、豪快に燃え上がりましたが、それを更に転がして燃やします。

炎を上げて燃えても焦げ目は余り付かないソレは、焼き加減が分からないまま、編みの上を転がして炙り、頃合を見て、燃える油の火を直前で吹き消して、火傷しそうな熱いのをパクつくと、それまで知らなかった旨味が噛む度に口の中へ何度も、何度も広がるのです。

これが、マルチョウとの初めて出会いでした。

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また、燻るマルチョウの消火と程々の冷却を兼ねて沈める胡麻油ダレと熟成ダレは、何処か懐かしい味わいの美味しさで、白御飯の掻き込みを加速してくれます。

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京都出張は終わりましたが、以後、京都へ行く度に晩飯は『とく』でマルチョウ二つと飯大盛りを注文するのでした。

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だが、しかし、京都三哲の地縛に化かされたのか、三哲の辻に棲まう魑魅魍魎に気に入られたのか、其の後、訪れる度に、ほんの2、30m手前の塩小路西洞院の交差点から迷い、近くの路地を何度も行き来した挙句、漸く『とく』に辿り着くのでした。

『あっ、また曲がったあ。そっちじゃないでしょ!』

妻を連れて三度目も、迷いそうになって窘められた。

一人で訪れていた時も、毎回迷っていて、真っ直ぐに来れた事は一度も無かった。

帰りは迷わないのに不思議な事だと、毎回思う。

一度目は七条通りまで出て、堀川の大通りと油小路を廻ってから、『こんなに遠いのぉ』と嫌味を言われて、やっと辿り着いた。

二度目は妻に『こっちだっけぇ?』と不審がられながら、七条通りまで行って油小路で戻って来たら着けた。

三度目は妻の記憶の御蔭で、七条通り行きは未然に防がれた。

『今日は、曲がらずに来たね』

妻と来た四度目、漸く呪いから解かれたようだ。

知らず知らずと狭間を覗いたり、陰陽の印に触れていたのだろうか?

それとも、近くに猩猩や天狗や妖狐を祀る神社でも在るのだろうか?

京都も、金沢も、不思議な街で、似たような事を時々、体験している。

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因みに妻は、殆どホルモン系は食べなくて、焼き上がったマルチョウを一切れだけ口に放り込んだ後は、いつも自分用にオーダーした和牛特上カルビとキムチ三種を食べてます。

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マルチョウは牛の小腸です。

大腸と比べて小腸は薄い厚みですが、脂がよくのっていて旨味が有ります。

炙られて滴る脂は、炭火の熱で焼き網の上が大火事模様になり、高く上がる炎と立ち込める油煙に気持ちが少し引けて仕舞いますが、焼き網の熱を冷ます氷を置いて炎と気持ちを静めながら、炭火に甚振られるマルチョウの焼き上がり具合を確かめつつ、美味しくパクつきます。

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名前の由来は小腸を丸い筒状のまま、ぶつ切りにして焼くのでマルチョウと呼ばれ、丸腸とも書きます。

脂の甘味は濃厚で肉厚は薄く、ホルモン系としては軟らかくて食べ易いです。

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場所:

京都駅北口の大通りを左手の西方向へ進み、突き当たりのT字路の手前の道路右側 京都駅中央口から約300m(塩小路西洞院の交差点の西側北面) バスで向かうなら京都駅前から一つ目のバス停『三哲』で下車

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この『三哲』の地名は、バスの停留所の名前にしか現在は公共的に使われていませんが、そのバス停が在る塩小路通りの以前の名称は三哲通りでした。
徳川幕府から初代天文方に任じられた渋川春海は、中国から伝わり、中国との経度の差、太陽の近地点の変化などで江戸時代初めまで八百年の長きに渡って用いられて来た宣明暦法の暦が、天象と記載のズレが大きくなった為に、新たに日本の位置に適した補正を加えた大和暦を作成した、京都四条室町生まれの社交的で人脈豊かな天文暦と神道の学者です。
大和歴は貞享2年(1685)から 「貞享暦」として江戸幕府に採用され、太陽暦に替わる明治6年まで、日本全国の季節の行事や事柄の基準として広く用いられました。
この渋川春海は天文方に成る前、碁所の碁方を任じられていた安井家の長男の囲碁棋士で、名は父と同じ安井算哲でした。
天文方の渋川春海と碁方の安井算哲は同じ人物です。
その算哲の屋敷の在った場所が梅小路堀川で、現在の三哲のバス停辺り。
梅小路通りは三哲通りと呼ばれる前の名称。
京都東西通り歌の歌詞に、『ろくじょう、さんてつ、しちじょう』と唄われます。
そして、屋敷付近に住まう庶民達は、『さんてつ』の発音から『算哲』の漢字名をイメージせずに、分かり易い『三哲』の漢字を当てたのでした。

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PS:

この牛の小腸のホルモンは娘が嫁いだ福岡市の肉屋で、『とく』の皿に盛られて供される姿形そのままに量り売りされていました。

もちろん『とく』のように、焼きダレに浸けられていませんが、娘夫婦宅で焼肉タレの味付けをしてフライパンで焼いて食べると、期待通りにハズレ無く、美味です。

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ですが、激しく炎を上げて炙り焼くハラワタを貪り食う悪魔の気分は、『とく』でしか味わえないと思うのでした。

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香箱蟹が食べてみたい!

 香箱蟹(コウバコガニ)を捌いて盛り付けてみました。

漁獲される地方によって、『松葉ガニ』、『越前ガニ』、『ヨシガニ』、『タイザガニ』と、呼び名が変わる大振りなズワイガニは雄です。

比べてずっと小振りな香箱蟹は、その雌です。

身が多くて食べ応えの有るズワイガニは観光客に人気ですが、美味しいのは香箱蟹で、数年前までは地元民が安く食す為に、市場では控えめに、観光土産屋では殆ど、売られていませんでした。

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小振りな雌は『コウバコガニ』以外に、食される地域によって、『セコガニ』、『コッペガニ』、『メガニ』、『オヤガニ』、『セイコガニ』、『クロコ』と、美味しくなさそうな名で呼ばれ、ワザと不味そうな感じにさせて、地元以外への流通を避けていた感じがします。

最近は地元以外にも知られるようになって人気が出て来たのと、漁期が11/6~1/6前後と短くなった為に値が上がって来ています。

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細い手足に詰まった身は少ないですが、甘味が有ります。

オスのズアイガニの大きな足の身だけを食して、メスの香箱蟹のミソを知らないなんて、勿体無いですね!

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小振りな外見の中には、腹部から食み出す茶色の外子と呼ばれる幾つもの卵の房に、豆腐のような白身とオレンジ色をした内子の塊の味噌が濃厚な旨味でビッチリと詰まっています。

味噌を食べ尽くした小さな甲羅を盃にして飲む酒は、格別な味わいで堪りません。

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PS1:カニヒルの卵について

甲羅には偶に黒い粒々が付いていますが、それは魚の体液を吸い取るカニヒルの卵です。

カニヒルはカニの体液を吸いませんし、特に害は無いですが茹でて食すれば、より安心でしょう。

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PS2:香箱とズワイの名称について

雅な「香箱/コウバコ」の名は、『日本海の香り』を秘めた蟹だからとか、『甲羅で蓋をした香り箱』みたいとか、金沢弁の『小さくて早熟な可愛い女の子の意味のコウバク』が訛ってとか、『香り立つ高貴な方が食べた』からとか、『中の味噌が紅白』だからとか、いろんな語源が伝わっていますが、私的には、腹に「我が子を抱く」から故の「コヲダク」が北陸訛りに、「コウバコ」と聞こえたのだと思っています。

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 金沢に生まれ育っていますが、『コウバク』を日常会話で聞いた事が有りません。

早熟な発言や態度をする子を表現するのに、『あのザッカシイ子やろ』と言いますし、狡賢いは『はしかい』ですし、機転が利く事は『りくつな』です。

生意気は、『いさどい』や『じまんらしい』。

可愛いは、『あいそらしい』ですね。

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 「ズワイ」は、細い木の枝を指す古の言葉の「楚(すわえ、すはえ)」が訛ったらしいので、胴体を幹に、細く長い八本の足を扇状に広がる枝に見立てた、「松葉」と同じような縁起名なのでしょう。

因みに漢字表記の商品名は、縁起名らしくない「津和井蟹」と書かれるみたいです。

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上海蟹を初めて食べるまでの物語(蒸して、美味しく食べた!)

 初めて上海蟹を食べたのは、もう十数年も前になります。

広東省の龍華鎮の工廠での昼休みに、『会議室に蒸した美味しい蟹が有りますので、食べに来て下さい』と、上司に誘われて食べたのが最初です。f:id:shannon-wakky:20161222065238j:plain

会議室に入ると、二十人が対面する大きなテーブルの上に、赤く蒸し上がった蟹が五十杯は積まれた、湯気の立つ大皿が置かれ、更にガサガソと音のするダンボール箱が、テーブルの脇に八つ並べられているが見えた。

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大皿から三杯の蟹が皿に取られて、テーブル前まで来た私へ供される。

そして、私を会議室へ誘った上司が言った。

『これは、江蘇省の昆山工廠にいる事業群リーダーが、龍華工廠のリーダーへプレゼントしてくれた蟹です。中国では大閘蟹(ダァジャアシェ)と呼びますが、日本では上海蟹として有名ですね。この蟹を食べた経験が有りますか?』

上司は大皿から一つを掴み、私の前で赤くなった甲羅を毟り、胴体を豪快に真っ二つに割った。

『見えるでしょう。ここの黄色い味噌が、独特な味で、非常に美味いんですよ。台湾人も、中国人も、この大閘蟹は大好きです。そこの箱には陽澄蟹(ヤンチェンシェ)と印刷されてます。陽澄とは原産地の湖の名前で、ナンバーワンのブランドですよ。龍華の幹部達に食べて貰いたいと、リーダーの気遣いですね』

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オフィスの女子が開けたばかりのダンボール箱に近寄って中を覘くと、解凍し始めた保冷剤の間に蟹が二十匹以上も入っていて、冷蔵睡眠から目覚めた蟹達が体を揺すっている。

どの蟹も手足を折り畳んだ状態で、同じ色の縄にキツく縛られていた。

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『ああ、これね。攻撃的な蟹なので、縛らないと仲間の手足を切っちゃうんですよ。一本でも欠けるとブランドに成らないですし、送り主の面子も傷付きますね』

挟み爪の手に細い毛を、もっさりと生やしている乱暴者の緑褐色の蟹だ。

それまで、海の蟹とマッドクラブしか食べた事のない私は、初めて見る沢蟹をデカくして黒くしたみたいな蟹の味を疑った。

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眉間を寄せ首を傾げた私を察した上司は、ニッコリ笑って半分に割った蟹の一つを私へ渡し、残りの一つをカプッと咥えて黄色の蟹味噌を扱い出すように食べた。

『こんな感じの食べ方でいいんですよ。赤い内子に白身の肉も食べますが、赤いのの微妙な味に食べない人が多いですし、白身は食べる手間に比べて量は少ないから、みんなは黄色い味噌だけ食べて、後はポイッと捨てますね。そこが大閘蟹を食べる目的ですから』

その言葉に迷いが失せた私は、渡された半身に齧り付いた。

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ウニの黄色とは違う鮮やかな黄色は、黄金色のようにも、山吹色にも見え、口の中に広がる初めて味合う濃厚なる豊潤な旨味は、これまでの人生では無かった美味しさで、例えになる味が見付からない。

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この黄金の美味さで腹を満たしたい衝動に駆られた私は、供された三杯を二分も経たずに平らげてしまった。

上司は、食べ終わった私に言う。

『この蟹の美味しさを中国人が知ったのは、大体、四千年前です。中国最初の王朝、夏の国の人が食べたのですよ。紀元前二千年だったなんて、凄いです。よく見付けて食べたもんですよね』

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紀元前二千年の日本だと、日本列島は、出雲から庄内辺りまでの日本海側文化圏と九州から津軽海峡までの太平洋文化圏に分かれていて、共有生活圏の意識は有っても、国家の相互感覚や支配着想が、まだ無い縄文晩期と弥生早期の狭間の時代だ。

縄文人と弥生人は磯蟹や沢蟹を火を通して食べていたのだろうか?f:id:shannon-wakky:20161222071637j:plain

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以後、毎年の秋の旬にプレゼントされるだけではなく、いつか生きた大閘蟹を養殖の湖の生簀(いけす)から選んで買い、自分で料理して食べたいと望んでいました。

そして、四年前から私は、ルーツになった原産地の陽澄湖が近くに在る昆山市の工廠で勤務しています。

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下記は、伝承と史実に基づいて認めた、オリジナルストーリー、『大閘蟹を世界で初めて食べた物語』です。

 

大閘蟹を世界で初めて食べた物語

紀元前二千九十年晩夏、現中国江蘇省蘇州市東部辺り。

そこは、見渡す限りの大湿地帯だった。

我、巴解(バァジェ)は、十二人漕ぎの小船の船首に組まれた上背の高い人を二人、縦に連ねたよりも更に高い見張り台の上に立ち、見回す八卦(はっけ)の全ての方角は、二間(けん)以上の長さに生長した葦(よし)の草原と、溜まり水の見え隠れが続く中に、枝振りを広げた低木が4、5本寄せ合う林がポツポツと点在するだけで、じっくりと腰を下ろして休めそうな乾いた土地や岩場は何処にも見当たらなかった。

ただ、東方の地平線の彼方に岩山の頂きらしきを見付けるが、今日までのように、葦の原に入り組む水路の複雑な迷路は何十回も行く手を阻み、辿り着くのに数日は必要だと思う。

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我々が来た西方に昨日まで見えていた山の小さな連なりは、今朝から見えなくなっていた。

其処には、新田の開墾を任せる為に連れて来ていた農民の一部と警護の兵士の一部を残して来ている。

そして、彼らには砦を建て、山の麓を開墾して水田と作物を作るように命じている。

彼らは住まう場所を整備して、時雨が降って寒くなる前に、持って来ている食糧と育てた作物や狩猟の獲物で、自給自足できるようにしなければならない。

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新たな入植地を求める我々本隊も、北風の木枯らしが吹いて、どんよりと暗い鉛色の冬雲が流れて来るまでに、新天地に巡り遇って冬越しの準備を整える必要がある。それが叶わなければ、西方の山の小さな連なりへ戻り、来春に再び東方へ進出できるまで冬篭りしないと、帝(みかど)の命は達成できないだろう。

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此処まで来るのに三日も掛かった水路は池や分水路の多い迷路だった。

水路筋を探す為に何艘も偵察船を先行させたが、行き止まる多くの分水路に迷い、数艘の偵察船が今も戻って来ていない。

易経(えききょう)に熱く傾倒して信心する禹帝(ユウディ)は、政(まつりごと)の全てを八卦と陰陽(おんよう)の導きで取り計らっていた。

春の節目、豊年の元旦に、冬空の星の瞬きに憂いを感じた禹帝は、自ら創始した夏(シャ)王朝の行く末を占った結果、『震(しん)の方角が動き、雷鳴を轟(とどろ)かす龍に、足許が覚束(おぼつか)無くなる民は離反し、国の西部、中原(ちゅうげん)の地に集い興す新たな国朝は、夏を禹帝一代で滅亡させる』と読まれ、更に『災厄の祓(はら)う術は唯一、震の地に進みて豊かに繁栄さすれば、夏の国の存続は五百年』と解かれた。

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故に我は、主君の陽城を都城する夏国の禹帝に『彼の東の地を治水開墾して領土を増やし、夏の国を豊かにせよ』と、命じられ、未だ何処の民も治めていない長江沿いの大湿地帯を、帝から任せられた新田開墾の農民家族と漁場開拓の漁民家族、それに治水の土木技術者に警護の兵士達を乗せた三百艘の舟を率いて、先行させている偵察船が見付けた、開墾して暮らせるそうな土地を目指し、鏡のように凪いでいる水面を静かに進んでいる。

暫く行くと、向こう岸が遠くに見えるくらいの大きな池と、それよりも小さな池に挟まれた、そこそこに広い乾いた土地に着いた。

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彼の地の岸辺に葦は茂っているが、中は僅かに地面が盛り上がり、水気に悩まされずに船団全員が暮らせると上陸後の探索で確認した。

直ぐに全ての舟を岸へ上げ、全ての荷物を降ろして宿泊の設営をする。

翌日と翌々日は、降雨による洪水で浸水しないように設営地周辺の堤防土手と、視察した開墾候補地の用水掘りを計画し、作業工程を組んだ。

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そして四日目、晴天が続く間に工事を終えようと、昼夜交代の土木工事が開始された。

しかし、その夜、悲劇が起きる。

篝火や焚き火の灯りに引き寄せられた大きな蟲に兵士と開拓民が襲われて犠牲者が出た。

そして、蟲は切り刻んで倒した十数人を大きな池の中へ運び去ってしまった。

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夜が明けた現場で見た数匹の走り回る蟲と死骸の蟲は、広げた大人の掌より一回り以上は大きい厚い甲羅で覆われた胴体を持ち、細い爪先の八本の足で水辺の泥濘でも、乾燥した草地でも、安定した姿勢で素早く動き、とても人が捕まえたり、追い払う手足の動作では、蟲の動きに追い付けなかった。

大人の親指よりも大きいな鋭くて硬い挟み爪が付く、子供の握り拳くらいの大きさの両腕による攻撃は、人の皮膚を肉筋までパチン、パチンと切り取ってつまみ、食べていた!

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挟み爪の回りにびっしりと生える絨毛(じゅうもう)は、威嚇や攻撃ポーズで構える爪に、まるで武官の豊かな髭のように見え、獰猛で強固な戦闘意志を感じさせた。

足も、腕も、胴体と同様に鋭い角が立つ硬くて厚い甲羅で覆われ、素手で捕らえる事に成功しても、暴れる動きに掌を切られり、指を切断されたりした。

頑丈な体の構造は、踏み潰そうとしても効果は無く、逆に足に怪我を負った。

首筋や股筋を切られて大出血で殺された者や、手足の筋や神経を切られて動けずにいる者を、彼らの下に入り込んだ多くの蟲達が、まるで蟻がするように持ち上げて水の中へ連れて行った。

 

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この場所に上陸した日、前日まで午前と午後に二匹以上は水路で釣れていた、人ほども有る大魚や鰻が、早朝から一匹も獲れなくなった。

二つの池の上空に舞う鳥は無く、茂みに巣くうはずの水鳥の囀りや蛙(かわず)の鳴き声も聞こえて来なかった。

昨日の朝、偶々(たまたま)、遠くから飛んで来た大きな鳥が羽休めに岸辺に下りるのを見た。

その鳥の足をいきなり、近くに潜んで居た蟲が挟み爪で掴み、驚いた鳥は反射的に羽を広げて飛んで逃げようとした。

そこへ増援の蟲が次々と現れ、羽ばたいて飛び上がろうとする鳥の、もう一方の足を増援に来た先頭の蟲が掴むと、後続の蟲達は両の足から攀(よ)じ登って、重みで鳥を圧し倒した。

そして、虚しい羽ばたきを繰り返す鳥を水中へ連れ去った。

全ては一瞬で、『ああっ!』と呻くしかない間の非情な出来事だった。

鳥が引き込まれた水面に広がる波紋を見ながら、『蟲達は常に空腹で貪欲だな』と、全く危機感を感じないままに見ていた。

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釣れない大魚も、池にいない水鳥も、全てを蟲達が食べ尽くしていた。

その時に、蟲達の賢い凶暴性と貪(むさぼ)り喰らう暴食性の危険と脅威に気付くべきであった。

だが、我々の誰しもが、夏の国を豊かにする禹帝の命に叶う地に上陸する興奮で冷静さが薄れ、水鳥の非情な顛末から導かれる事態を予想していなかった。

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そして昨夜、篝火を焚いて突貫工事中の我々は襲われた。

ザザザッザーッと音と共に全方向から地面が揺れ動くように、何十万匹もの蟲の大群が泡を吹きながら襲って来て、明け方には寄せた波が戻るように、切り取った人の指や肉片に殺された仲間の屍も掴み、一斉に池の中へと退いて行った。

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我々の大勢が手足に怪我を負い、池へ運ばれて行方不明になった者は、とうとう死体も見付けられなかった。

後日に判明した事だが、大きな池の東側の広い水路の水は、海水が混ざる汽水で、蟲達の大産卵場だった。

そして、大きな池と小さな池は共に大繁殖の地で、蟲達は常に餓えている。

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餓えた蟲達にとって、我々は大量の餌で御馳走だった。

蟲達は我々を食い尽くすまで、何度でも必ず襲って来るだろう。

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夜、池から炎の灯りが見える範囲で火を焚くと、我々を食い尽くそうと蟲達が遣って来る。

我々は夜間の作業を止めて、蟲達を撃滅する対策を考え、防壁を築く工事を急いだ。

敵は八本足で素早く動き回るが、空を飛ぶ翼は無く、手足を含めた大きさは子犬ほどだから、蟲が乗り越えられない高さの垂直な防壁を巡らすだけで、我々に襲い掛かれなくなる。

それができれば、蟲の撃退や退治の遣り様も有る。

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船団の三分の二の舟を解体して、その木材で二十間四方の防壁を巡らし砦とした。

そして、内部には八間四方の外壁よりも高い土塁を造成して、上面の中央に井戸を掘って釣瓶で真水を汲み上げれるようにし、それから四面の縁には炉を並べて作り、炊事と足し湯の場にした。

高さ一間の外壁の外側には、半間の斜面の地を残して幅二間のV形の溝を掘って、外周掘りを作り防備の要とする。

V形の溝の斜面と底は、水路底の地中から掘り出した粘土を敷き詰めて固め、漏水を防いだ堀を水濠にした。

砦の周囲は、百間の幅で生い茂る葦などの草木を薙ぎ払って見通しを良くした。

濠の近くで掃った小枝や低木の幹、それに水路向こうの地からも集めた薪を燃やして、有りったけの瓶や鍋で次々を湯を沸かし、注いだ熱湯で濠を満たした。

満たすと湯が冷めないように、土塁上で沸かした湯を導水路で流して足す。

濠を熱湯で満たした頃には既に陽が沈んで、辺りに迫る闇の奥にザワザワと蠢く気配が強まって来ている。

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濠の外側に篝火を焚き並べ、焚き火もそのままに外にいた全員が砦内へ撤収し、武器を掴んで構えたのも束の間、ガヤガヤと全周囲の闇から払った草木を踏み付けて、篝火の灯りの許、見渡す限りが蟲の大群に覆われた。

迫り来る蟲達は濠から溢れ流れた湯に、一瞬、躊躇して動きを停めたが、より勢いを増して防壁に取り付こうと濠へ殺到した。

濠の湯は、防壁上の導水路から足され続ける熱湯で冷める事は無く、濠を渡ろうとする蟲は悉(ことごと)く己の堪えうる水温以上の熱水に動きを止め、濠の底へ沈んで死んでしまった。

先行する仲間が次々と濠に沈んで行くにも拘(かかわ)らず、泡を吹き、挟み爪を振り回す蟲達は、濠を越えようするのを止めようとはしない。

大量の蟲の死骸で埋まって行く濠は、蟲の冷たい体温で温度が下がり、熱の障害となる郷の役目を果たさなくなった。

死骸で埋まる壕から溢れ出て仕舞う熱湯への足し湯は、繰り替えしても直接浴びせる蟲以外を殺せなくなってしまう。

蟲達は水面上まで堆(うずたか)く積み重なった仲間の屍を渡って、一斉に砦の四面の防壁に取り付いた。

取り付くと重なる仲間の体を土台にして高さを増し、見る見るうちに防壁の高さに迫って来る。

それを、導水路の熱湯を掛けたり、槍で突いたりして崩す。

もっと高さが迫ると刀で切り払うが、全く休み無しで動き捲くる蟲達の増す高さに、返し刀が追い付かなくなっていた。

その時、濠の外側に並べられた篝火が全て倒され、切り払って炎天で乾燥された草木に火が放たれた。

全周囲へ燃え広がる炎は、直ぐに大火となって百間先まで焼き尽くして蟲達の後続を絶ってしまう。

迫る炎に後続の蟲達は池へ逃げ帰り、小山のように積み重なって防壁に取り付いた蟲は、チリチリと防壁板を焦がすほどの劫火(ごうか)の炎の熱に燻されて、全滅してしまった。

砦の中で防戦していた人間達は、大地が焼ける熱が冷えるまで、汲み上げた井戸水を被って堪えていた。

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夜明けの冷気に蒸せる空気が冷め、朝日が辺り一面を照らすと、我は土塁上に立ち、全ての包囲に警戒すべき気配を探した。

だが、目に映る全ての地面には無骨な緑褐色の蟲が、敷き詰めた赤い絨毯のように隙間無く、焼けて、茹だって、蒸してと、赤く変色した骸を晒していた。

我の眼下の全周囲には、少なくとも十万に近い赤い骸が転がっている。

一夜にして我々は、蟲達に食欲と攻撃欲を削ぐほどの甚大な損害を与え、この地を制圧していたのを知り、我が見る一面の赤い眺めに、昨夜は一人の部下を失う事も無く、蟲達に完全勝利した確信を得た。

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砦の外に出て、マジマジと観察した蟲の全体像は長江に棲む泥蟹に似ていたが、大きさが全く違って、ずっと大きい。

胴体部だけでも倍以上の大きさだ!

それに単独行動の泥蟹と違い、戦闘的な集団行動をしていた。

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泥蟹は清水で泥を吐かせてから、蒸したり、焼いたりして美味しく食べれる。

特に雌の胴体に有る美味な赤い内子と卵は、酒の肴として食が進んだ。

 そして、足許の熱湯の掘りで茹で上がった蟲と、焼けた葦の中で燻さされた蟲は、調理後の泥蟹と同じ、

美味しそうな紅色になって湯気を立てている。

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白色に近い明灰色の腹部の中央部分は、細い釣鐘の形と潰した握り飯の形をした二種類が見て取れた。

たぶん、釣鐘形は雄、潰した握り飯形は雌で、その形は卵を宿す為だろう。

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近くにいた部下の一人が、茹だった蟲達の死骸を眺める我の意に気付いたのか、一つを脇差の短刀で見事に両断して、茹で上がった熱さで手玉に取りながら、我の眼前へ差し出した。

立つ湯気の香りも泥蟹と同じ。

だが、雌だと思われる一刀両断した断面の身には赤い内子の他に、泥蟹には無い黄金色の味噌のような大きな塊りが有る。

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我は部下から片方を受け取り、黄金色を鼻に近付けて臭いを嗅いだ。

その匂いは、泥蟹と同じ香りがする赤い内子とは違う、更に深く濃い例えようの無い豊かな旨味を鼻腔の奥に感じた。

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無意識に我は黄金色の味噌に喰らい付き、気付けば口一杯に頬張って、広がる新たな香りと味に歓喜していた。

我は喉越しを楽しみながら口の中を空にすると、周りに集まって我の食中(しょくあた)りを案じる部下達へ叫んだ。

『此処の蟲は思った通り、蟹だ! 有りったけの茣蓙(ござ)とテーブルを持って来て、ここに敷いて並べるんだ! そして、茹で上がった蟲と焼けた蟲を置け! 強い酒も持って来い! それから醤油と酢もだ!』

我の大声に、察しの良い部下は塩梅を整えようと機敏に動き始めるが、大半は何の事やらと更なる我の説明を待っていた。

『ええい! さっさと用意しろ、この蟲は内子が旨いんだよ! 今から勝利の宴会を始めるぞ! お天道さんが真上に来て、蟲を腐らせるまで宴会だ! その後は、残りを池に捨てるんだぞ。酷い臭いなる前に大掃除だな』

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部下の誰もが美味いのかと疑いの顔を見合わせながら、勝ち鬨(どき)を連呼する。

『攻撃的な蟲は美味い蟹だった。茹で上がって初めて蟹だと、はっきり知ったから、大閘蟹とするぞ!』

『それに、禹帝にも食べて貰いたいと思う。残っている舟の数艘を籠生簀(かごいけす)用にして、生かせて陽城の宮廷へ運ぶんだ。是非、この旨さを禹帝に知って欲しいと、我は考える』

部下達から大きな歓声が上がる。

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『この砦が在る地は、我の城として、巴城(バアチャン)と命名する。蟲達が棲まう二つの池は、小さい方が同じく、我の池として巴城湖と名付け、大きい方は、これからの豊かな繁栄を我々に約束してくれるよう、陽澄湖の名にする』

『蟲の屍は細かく砕いてから田畑の土に鋤いて肥料にするぞ。今年中に開墾を済ませ、来年以後は、他の地も開墾しながら灌漑した水田で稲作を始めよう。そして、秋には、収穫した米と大閘蟹と巴城の特産品として、禹帝へ献上して民に振舞って貰い、強い夏の国の証とするんだ!』

我の激と豊かな富への期待に宴会は盛り上がり、真昼までのつもりが翌日の朝まで楽しく浮かれ、酔い潰れてしまった。

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夜通し火を焚いて、飲み溢しながら、喰い散らかしながら、千鳥足で歩き回り、酔い潰れて焼け野や葦の原で眠っても、大閘蟹達は襲いも、近寄っても来なかった。

大閘蟹は賢くて強い人間を天敵と恐れ、今後、二度と人を喰らう事が無くなったのを知った巴解は、心地好い酔いの夢現(ゆめうつつ)に想う。

 

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陽澄湖で獲れる大閘蟹の黄金の美味さは、中原世界の隅々まで有名を馳せ、大勢が食べて絶賛するだろう。

何千年後の未来まで、世界中の人達が巴城の街へ陽澄蟹を食べに来るだろう。

そして、語り継がれる我、巴解の『大閘蟹を世界で初めて食べた物語』を知るのだ。

-終わり-

 

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紀元前二千年、江蘇省の長江河口地域は上流からの堆積土によって、大小無数の沼池や葦の草原の湿地が島のように点在するだけで、沿岸線となる海原との境界は明確では有りませんでした。

太湖から上海市の一帯は、堆積と潮流による無数の堆積砂州が集まるだけの、長江や太湖の淡水に海水が混ざる汽水の水辺で、作物が育ち人が住める塩害の無い乾いた土地は、何処にも有りませんでした。

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ただ、物語冒頭の巴解が東方の地平線の彼方に見た岩山の頂きらしきは、現在の昆山市内の亭林公園に聳える玉峰山(馬鞍山)という岩山で、有史以前から人が住みついて漁猟を生業(なりわい)にしていたとされる黄泥山遺跡が在りました。

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(黄泥山遺跡は出土品や生活跡を発掘されていましたが、中国考古学的に不都合になるのか、遺跡は近年、埋められて現在は亭林公園の正門と周辺広場に整備されてしまい、黄泥山遺跡の説明石碑と出土品は行方不明です)

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彼らは岩山の頂きが見える範囲で漁獲を行い、夕刻に戻らない仲間がいると、夜通し頂上で大きな火を上げて帰る道標(みちしるべ)とした事でしょう。

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巴解が治山治水のエンジニアとして仕えた禹帝は、現存する古(いにしえ)の歴史史書に名が残された最古の王朝『夏』《紀元前2100年頃~紀元前1500年頃》の初代皇帝です。

実際に伝承地から都城の遺跡が発掘されて、人口二万人規模の国家形態《二里頭文化》の存在が証明されています。

大湿地帯の開墾に成功した御蔭なのか、夏の国は十七代皇帝の人徳に欠ける(ジェエ)が、暴政で人心の離反を招くまで、四百七十年続きました。

最古の唯一の王朝なのに最高位の皇帝とは不思議ですが、幾つもの王国を征服して支配する皇帝の意味とは違い、中国史では、天の皇(ファン)《運命》、地の皇《大地と時勢》、人の皇《自身の性格》の三つの徳を持つ人物に与える最高の称号ですから、民に慕われて夏の国を豊かに繁栄させた人物なのでしょう。

夏の国を創始する前の禹帝は、舜帝(シュンディ)に仕える世襲制の治水エンジニアで、父が成し遂げれなかった黄河の氾濫と洪水を治めています。

舜帝は晩年に統治を禹に譲って亡くなっています。

この時勢と人徳に恵まれた舜帝は、先代の堯帝(ヤオディ)に二人の愛娘を嫁がせてまで人物を見定めさすほどの逸材でした。

堯帝に登用される前の瞬は、家督を連れ子に継がせようと企(たくら)む異母と拐(かどわ)される父に殺されそうになりながらも、その全てを己の知恵で逃れ、それでも実父に孝行を尽くす息子でした。

登用された瞬は、直ぐに堯帝から三年間の摂政で能力を試されますが、忠義や成果の無い官僚を一掃して、政は平穏に行われようになり、民は平和な生活が過ごせるようになりました。

この大いなる成果に堯帝は、以後の摂政を瞬に任せて帝位を譲ります。

堯帝も民の安寧(あんねい)な生活を望んで尽力を尽くす、徳の高い帝で、それ故の瞬の登用でした。

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堯帝の先史は、中国中原の統治の祖、医術に長けた黄帝(ファンディ)《紀元前2510年紀元前2448年》になり、その前が神格の伏羲(フウシィ)女媧(ニュウワ)神農(シェンノォン)《いずれも顔は人、身体と能力は人外》の神話時代になります。

ユンケル黄帝液に名が使われるくらいの医術者の黄帝は、東洋医学の創始者とされる岐伯(チィバァイ)に医学を学んでいます。

黄帝の名は崇拝する後世の人々の姓に使われていて、中国の人々に黄の姓が多いのは、その所為なのです。

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しかし、中国最古の王朝とされる夏の国以前の、舜帝や堯帝や黄帝の統治は史実的に伝承されているだけなので、中原の地には、まだまだ知られざる遺跡や、古の国の名も読み解く事のできる遺物が埋もれているのかも知れません。

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上海蟹に纏わる巴解の伝承は、以上の様な太古を遡(さかのぼ)る史実に結び付くのには、驚きです。

少なくとも、堯帝からの因果を感じます。

 

注意:

原産地とされる陽澄湖で養殖される大閘蟹は、高級ブランド『陽澄蟹』として高値で取引されていますが、高価ゆえに違う湖や池で養殖されたニセモノが非常に多いです。

陽澄湖湖畔の巴城の街で食する大閘蟹や販売している大閘蟹でも、大半がニセモノと言われています。

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陽澄湖で獲る大閘蟹にしても、沖合いの生け簀や対岸からニセモノを運んで来ているとの噂が有ります。

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陽澄湖区域の隣接する池で養殖されている大閘蟹にも、養殖は名ばかりで他地方のニセモノを放っているそうです。

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陽澄湖は流入する河川域から水質汚染を防ぐ管理がなされているそうですが、それを保障する資料情報はネット上に見付かりませんでした。

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他地域のニセモノ養殖の湖や池の殆どでは、乱開発された多くの工業区が岸辺に在って、重金属を含む無処理の排水を流入させています。

重金属や毒性の強い有害物質は、発癌性以外に全身の筋肉痛、関節痛、浮腫みを発症させます。

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このような汚染の弊害は大閘蟹だけに限らず、河川や湖沼で獲れる蟹、魚貝などの全般に及びます。

なので、河川や湖沼で獲れる食材を大陸で食する場合、くれぐれも自己責任の覚悟を御願い致します。

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もし、大閘蟹を帝に献上していた巴解が現在の陽澄蟹を食べたとすると、絶対に水質汚染による余りの味の違いで激しく怒り、深く嘆き悲しみ、末裔達を酷く恨む事でしょう。

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くらがり坂の清水と加州清光の住い

この清水(しょうず)が在る『くらがり坂』は、金沢市内の文学的に有名な『明かり坂』や『暗がり坂』が在る浅野川沿いの廓街の情緒豊かな主計(かずえ)町ではなくて、犀川河畔の城南2丁目の河岸段丘を上り下りする『くらがり坂』です。

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地域の交流の場として金沢市はポケットパークの様に、金沢市城南2丁目40-1近くに在る『くらがり坂の清水』を整備したのですが、奥の湧き水場と左斜面が鬱蒼として暗いので、とても此処で急速する気にはなれません。

『くらがり』の名に囚われずに、湧き水の滴りの周囲と左右の斜面を現代的な明るいデザインに施工して、暗がりや覆う影を無くし、得体の知れない怪異や爬虫類が棲まうような雰囲気を醸し出さないで貰いたいです。

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この辺りが昭和40年代に区画整理されるまで、坂上の上笠舞の集落から犀川上菊橋袂の城南地区の集落まで、街灯は全く無くて、夜は月明かりや星明りを頼りに歩く、本当に真っ暗な道でした。

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小学3年生の時に城南2丁目の犀川の堰で黄昏時まで、暗くなるのに気付かずに遊んでいて、一緒にいた友達と慌てて帰った記憶が有ります。

月が昇り掛けの時刻、疎らな雲の流れが時折り星明りを隠す中、段丘の影になった暗い道を、道脇の小川の流れの朧な光を頼りに戻りました。

『くらがり坂』の清水で足を浸してから、早く帰ろうと坂道を見ると、両脇に茂る木々が夜空を隠して、路面は暗闇にぼんやりと仄かに見えるだけです。

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この道は、小立野台地上の上野町から下菊橋を渡って寺町台地へ行く近道なのですが、夜は真っ暗になるので、提灯や懐中電灯の灯りが無ければ、上笠舞の集落から人家の明かりが続く下笠舞の猿丸神社の方へ人々は迂回していました。

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当時は、現在よりも治安は良くなくて、強盗や人攫いの事件も多く、また得体の知れない物が徘徊していたり、神隠しの噂も有って、しょっちゅう親から気を付けるように注意されていました。

見るからに真っ暗な夜道の危険さと不安な心細さに、友人と二人で迷子になりかけて、泣き叫びながら亀坂(がめざか)の麓まで走ったのを覚えています。

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あの頃は、崖面からの白糸のように滴り落ちる水と、こんこんと崖淵から湧く水で、洗い場は豊かに満ちていて、辺りの路面は湿っていました。

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清水は主に作物の洗い場として使われていました。

坂下の道路右脇の際からも湧き出していて、道の両側は細い小川筋でしたが速い流れでした。

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小立野台地や笠舞段丘などの河岸段丘の斜面や際には至る所に湧き水の清水が在り、夏になると清水の周囲や清水から流れる小川沿いは、多くの蛍が緑の光の尾を引きながら飛び舞っていました。

ある夏の夜、立坂下に在る実家の背戸に面する斜面の竹薮の中に、仄かな緑色の光が集まるのに気付いて、昼間にその場所へ行ってみたら、新しい湧き水の溜まりを見付けた事が有りました。

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『くらがり坂』の清水は、犀川河岸段丘の一番下の河川敷に近い城南地域の平地の笠舞段丘斜面際にが在ります。

ここは笠舞段丘が二段になっている場所で、『くらがり坂』上の平地から更に坂を上がりば、亀坂下の平地になります。

亀坂下の平地を斜面沿いに山側へ進むと善光寺坂下に在る『大清水』に至ります。

亀坂の上は、天徳院が在る河岸段丘最上段の小立野台地上です。

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段丘上の宅地化開発によって浸透水が減少してしまった現在は、多くの湧水が枯渇して、再整備された『くらがり坂の清水』も、辛うじて湧き水の流れが見られるような状態です。

河岸段丘の砂礫層を浸透して来る清浄な湧き水は、通る水脈で洗浄された細かな砂と礫を運んで来て、洗い場だった小さな清水池の底に敷き詰めています。

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定期的に枯葉やゴミの除去や敷地の清掃がなされている事によって異臭や濁りも無く、水底に堆積した清浄な砂と湧き水の慎ましい流れは、クレソンと緑鮮やかな水蘚を群生させています。

(くらがり坂の湧き水は清浄ですが、水質基準的に生水での飲用は控えて下さい)

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清水のクレソンは食べられます。

因みに食するクレソンには、血圧上昇を抑えるのと脂質代謝を促進、そして老化防止の効果が有ります。

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PS 1:

笠舞の地蔵尊(金沢市笠舞2丁目21-11辺り)

クランクに曲がる『くらがり坂』の上り切った河岸段丘から、更に亀坂下の河岸段丘へのS字に曲がる坂の上り切る直前の角には、地蔵が並んでいます。

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藩政期には、地蔵尊が在る坂を上り切った所から亀坂下まで罪人の処刑場が在り、坂を上り切った右手の笠舞第1公園辺りから河岸段丘縁までは、飢饉や災害で貧窮して生活が立ち行かなくなった者達を救済する非人小屋が在りました。

非人小屋は別名、御救(おすくい)小屋と呼ばれ、故に加賀藩領内では『非人』は士農工商に含まれない卑しい扱いの『被差別民/賤民』を指す言葉では有りません。

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非人小屋には士農工商の身分に含まれない、人々が忌み嫌う卑賎な生業の者も収容されて、『皮多/かわた』、『藤内/とうない』の括りで区別されていましたが、露骨な差別は有りませんでした。

(石川県や富山県の年配者が小さな生活地域を現す言葉で、よく『部落』を口にしますが、これは『村集落』を示す事で、他地域で用いるの差別言葉では有りません)

城南中学校裏の河岸段丘縁には屠殺場が有って、『皮多/かわた』の人達が従事していました。

物乞いをする乞食達も、加賀藩は非人小屋に収容して鑑札制で管理統率していました。

故に、人に非ず身分の人達や無届け移住者まで検めて管理していた加賀藩の藩領には、正体不明者は存在していませんでした。

f:id:shannon-wakky:20161008050703j:plain刑場で処刑された身寄りの無い罪人、非人小屋で亡くなったの身寄りの無い住人、飢饉や災害で亡くなった身内の供養の為に、刑場や非人小屋の周辺に点在して納められていた地蔵菩薩を集めて祭ったのが、笠舞地蔵尊です。

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 敷地6000坪以上(現:金沢市笠舞1丁目の北西側半分)、20軒長屋が45棟、収容2000~4000人の非人小屋は、災害で仕事場を失った職人達も居て、木工品、鉄工品、縫織工、などの日用品全般の製造及び、各種工芸品の製作が行われていた、衣食住を加賀藩から保障される職業斡旋所、職業訓練所、売り上げ歩合から賃金も支払われる職場と生活のシェアライフ地区でした。

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小立野台地上から見た非人小屋が在った辺り。現在は住宅が建ち並び、清光の碑以外に痕跡は無し。

 

山手側奥の涌波村の大道割近くには塩硝御蔵(土清水/つっちょうじ製薬所)が在りましたから、藩政期末頃には、小立野台地上から浅野川縁の田井町へ下りる牛坂(うっさか)の際に在った上野村弾薬所(現、坂下り際から石川県警察学校が在る一帯)へ運ばれて火薬にされた一部を使って、線香花火を非人小屋の製造所で作り、それを富山の薬売り達が加賀藩塩硝の販売サンプルとして、外様各藩の重役や豪商へ運んでいた事でしょう。

(加賀藩製の塩硝を用いた線香花火は、発色の良い火花が多く飛び散り、火玉が落ち難く長持ちして、人気が有った)

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犀川対岸の寺町台地上から見た非人小屋や刑場が在った辺り。建ち並ぶ住宅で、河岸段丘の判別が難しい。

 

PS 2:

非人清光の碑(金沢市笠舞1丁目5-15の角)

話は変わりますが、アニメ『刀剣乱舞』の歴史改変を防止する刀剣男子のキャラに加州清光というのがいます。

刀を擬人化したキャラで、『清光』は刀の銘です。

この清光を使うのが沖田総司で、史実は他人の騙りの『菊一文字則宗』でなくて、池田屋騒動まで『清光』でした。

(池田屋で刀身に亀裂が入って修理不能になった以後も、別の『清光』を帯剣したらしい)

池田屋で折れた『清光』は、加州の名の通り、加賀藩金沢に住む刀鍛冶師の清光が製作した細身の直刀っぽい日本刀です。

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十二代続いて刀鍛冶を相伝した清光は、太平の世で依頼が無くて生活に貧窮した六代と七代が、金沢市の笠舞に加賀藩が設けた生活救済施設の『非人小屋』に住み、細々と刀鍛冶を続けています。

それ以降、『清光』の刀銘は別名『加州清光』に加えて『非人清光』と呼ばれています。

『非人小屋(御救小屋)』は、金沢市の実家近くに在りましたが、区画整理される前の子供の頃の記憶では、その辺りは既に遺構も無く水田と果樹園が広がっていました。

非人小屋での加州清光の住まい兼鍛冶場が在ったらしき場所には、現在、日本美術刀剣保存協会金沢支部と東京国立博物館工芸課の方々が製作したモニュメントの碑が有ります。

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モニュメントの銘板部分には、石板の罅割れの修復か、石板から銘板が剥がれたり、盗難されるのを防ぐ為か、当初には無かった3本のステンレス製の帯が巻かれていて、銘板の中央の帯が、折角の銘文を読み難くしています。

(安価で施すには、帯びが銘文を真横に跨ぐ様な安易策しか、できなかったのだろうか?)

因みに『清光』の一振りは東条英機の愛刀でした。

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河岸段丘最上段の小立野台地上に辰巳用水が完成したのが、1632年寛永9年)。

非人小屋(御救/おすくい小屋)が開設されたのが、1670年(寛文10年)。

生業の仕事が極薄で日々の暮らしに窮乏した六代目の上刀鍛冶、長兵衛藤原清光の一家(長男の長右衞門と弟の八兵衞)三人を、1675年(延宝6年)には加賀藩が窮民救済で広大な御救小屋の一角の匠区域に収容していますから、安定した浸透水で水量が増えた笠舞大清水から引いた水や、3~5mも砂礫層を掘れば豊かに湛えるようになった井戸水が、鍛冶の焼き入れにの冷水に使われていた事でしょう。

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1687年(貞享4年)に六代目の長兵衛清光が亡くなった後、非人小屋を出た七代目の長右衞門清光も直ぐに生活が貧窮して1688年(元禄元年)に、再び非人小屋に戻っています。

七代目の長右衞門清光は1723年(享保8年)に他界。

息子の八代目長兵衞清光(1754年/宝暦4年没)以降は、小立野台地上(現:金沢大学付属病院付近)に居を移し、上クラスの刀鍛冶として生業を継いでいます。

下刀鍛冶身分の六藏守種も1684年1687年(貞享元年から4年)の間に非人小屋へ移住して加賀藩に救済されています。

(当初は従来の仕事場と非人小屋の鍛冶場を住み分けていたのか、正確な移住年は不明です)

貞享の後は、天下泰平、庶民文化満開の元禄ですから、刀造りの仕事は極めて乏しくなり、中クラス、下クラスの刀鍛冶は日用刃物で稼ぐしかなくなる頃です。

 

PS 3:

文学的な金沢市主計(かずえ)町の暗がり坂と明かり坂

茶屋街の重要伝統的建造物群保存地区とされている浅野川大橋の南西河畔沿いの主計町と、橋場町交差点近くの『爪先上がりの小路』の坂を上がった下新町を繋ぐ階段坂が、暗がり坂と明かり坂です。

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爪先上がりの小路の坂上から橋場交差点方向を見る。

 

どちらの坂も明治期以後、泉鏡花、木倉屋銈造、国本昭二、五木寛之の文豪達の著作によって有名になり、金沢市の観光スポットを代表する一つです。

(湯涌温泉滞在中の竹久夢二が招かれる浮世話とか、徳田秋聲や室生犀星の行きがかり物語などは無かったのだろうか? ……でも、犀星なら広小路の石坂/いっさか:西の茶屋街だったんだろうなあ)

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暗がり坂の上り下り。

 

日の出から日没まで陽に照らされる坂上の現世と、昼過ぎから黄昏時みたいに薄暗さが漂い始めて、夕刻には闇に沈み誘蛾灯の灯る坂下の異世界は、二つの曲がり折れる階段坂で隔たれています。

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明かり坂の上り下り。

 

階段坂は曲がり折れる場所で、覗き見る異世界に畏怖を、振り返り見る現世に未練を、思案する坂の様に感じさせます。

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行きつ戻りつの葛藤などせず、下りて異世界の狭間で浮かれ惑うのも好し、上がりて平穏無事の柔らかな緊迫も良しです。

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何かをする予感 (2012年1月28日 土曜日のオラクル)

『何かがある』、『何かをする』、そんな予感を度々感じます。

それは、何かに呼ばれているような気配や、何かが起きたり、現れたりするような予感で、結果は、レスキューをするか、道標モドキになるかの、ちょっとした自己犠牲を強いられるような事ばかりです。

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これは、2012年1月28日に関西国際空港の出国管理ゲートで、体験した出来事です。

その日は春節(中国正月)休暇の終わり頃で、中国へ戻る大勢の人や海外へ渡航する人達が、イミグレーションのフルオープーンした十人の係官のカウンターへ長い列を成していました。

手荷物と身体の検査を終えてイミグレーションエリアへ向かうエスカレーターを降りながら、各列の長さと並ぶ外国人らしき人数を数え、そして、短くて外国人が少ない列を定めると足早に真っ直ぐに向かいます。

その最後尾へ並ぼうとした直前で、脇から少年が駆けて来て素早く四人連れの家族に先へ並ばれてしまう。

一気に四人も増えてしまったので、そこは遠慮して違う列を探します。

その時、『此処に並ぶな、という事なのか?』と、そんな思いがして、『何かが有るのか?』、『何かをさせるのか?』、そんな予感をはっきりと感じました。

『でも、この列じゃない!』、『だけど、此処で何かがある……』。

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次々に降りて来る出国者に遅れまじと、二列隣りの大柄な外

人が多くて列は長そうに見えるけれど、並ぶ人数が少ない方へ動くと、あと二歩ばかりのところで二人連れのプロレスラーみたいのに並ばれてしまった。

目の前の壁で塞いだような二人を見て、『此処とも、違うのか』と考えてしまう。

これだけ外国人が多いと、他の列より二、三人少なくても、それは気分的な慰めで、これまでの経験上、同じくらいの所要時間になる。

まして二人も増えたから絶対に遅い!

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まだ時間に余裕が有って別に急ぐわけでもないのだけれど、二度も思惑が外れて面白くないのとオラクルを感じた所為で、再び列を変えてみようと思い、一番左端の列に並びました。

他の列と同じくらいの人数が並んでいる其の列は、私の前に車椅子に乗った年配の女性と、その介護の娘さんだと思われる私と同年輩ぐらい人がいて、十五、六人が並んでいます。

車椅子が前後の距離を稼いで列の人数が同じほどなのに、見た目が他の列より長くなっているからなのか、今度は誰にも先を越される事も無く列の最後尾に並べてホッと安堵の溜め息が出てしまう。

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列の遅い進みに合わせて歩む私は、『こんな事なら、最初の列に我慢して並べば、良かったな』と、自分の行動の無意味さを恥ずかしく感じながらも、『でも、何かがある予感がしていたし……、この列なのだろうか?』と、並んだ列の前後と辺りを見回しながら、そう思っていました。

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列が二、三人分進んだ頃に、三つ向こうの列の女性係官が仕切りの中で出国者のパスポートをチェックしながら、チラチラとこちらを見ているのに気付いたのです。

私と視線が合った係官は出国スタンプを打ち終えると、次の出国者がカウンターへ近寄ってパスポートを差し出す前に立ち上がり、開いた右手の掌を口に沿わせて、私に向かって大声で言いました。

しかし、何かを説明するように大声で話している言葉は、幾つもの列に並ぶ大勢の人達のざわめきが篭るように反響しているのと、少し遠い距離に、女性の声のトーン細さで、全然聞き取れません。

そして、立ち上がった女性係官の左手は真横に伸ばされて、その人差し指はイミグレーションルームの右端を指し示しています。

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出国カウンター近くの幾人かは、立ち上がった係官を注視しているけれど、その行動の意味するところを分かっていない様子で、私の周りの人達は誰も係官のジェスチャーに気付いてさえいないです。

この時、私は彼女の言わんとする事を理解して、この列に並ばされた意味を知りました。

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直ぐに私は、目の前に立つ介護の女性の肩に触れて、振り返る彼女に告げました。

『ここは、車椅子が通れないです。右の壁沿いに専用窓口が有って、広くなっているようです。ほら、あそこの係官が教えてくれていますよ』

娘さんと思しき女性は、私の言葉を聞いて立ち上がってこちらを見ながら右側を指し示す係官を見て、それから車椅子が通れる専用カウンターの方を一瞥すると、車椅子の背凭れ越しに屈んで母親へ説明する。

女性係官は頷く私を見て、意思が伝わった事を知ると御辞儀をしてから座り、一時停滞していた業務を再開した。

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『ありがとうございます』と言って頭を下げ、右端の専用通路へ向かう車椅子の親子連れを見ながら、一緒に付き添いのフリをして通過できたかもと、セコい事を思ってしまう自分を浅ましく思う。

 

私にとって、立ち上がった係官のジェスチャーを理解して、その意思を直前に並ぶ親子に伝えた事が重要ではなくて、降りて来る予感の察しと、なすべき行いが親切で済んだ事に有ります。

それまでに、横転して煙が上がる車からドライバーを救い出したり、土手の火事や建物の小火を消したり、悪戯心を退けて人身事故を回避したり、などが有って、『危ない』を自覚するより先に身体が動いていました。

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いつか、それがデンジャラスに満ちて、非常にクライシスで、絶望的な状態・状況を回避する役目に導かれるかも知れないと、心配しています。

『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前』、『闘う者達よ、皆、我の前に陣を敷き、我を災厄から守りたまえ』

その時も、印を契って最悪から逃れ得るだろうか?

 

尚、イミグレーション(入出国管理)エリアは撮影が禁止なので、写真は有りません。

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電動バイク(中国の電動車/2016年~)

日本の公道では殆ど見かけない電動バイク(ローパワーの電動スクーター)が、中国では溢れるように走っています。

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ロードレーサータイプも有ります。

カラーリングと外観デザインは豊富です。

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中国では電動バイクが自転車と同等と見なされていて、運転免許の取得は必要無く、道交法の教習も有りません。

電動バイクの所有は購入時の登録番号のみで、税金や自賠責も有りません。f:id:shannon-wakky:20160524233146j:plain

価格はデザインや機能によって差が有り、1800~5000元で好みのタイプを購入できます。

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黄色いモデルで、3348元(2016/05/25レートで約5万6千円)です。

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黄色いプライスカードに表示された『供車』とは、分割で車を買うという意味で、通常は12回払いです。

表示されている数字は、頭金です。

価格から頭金を差し引いた残りを12回の分割で払うというのが、此処での一般的な分割払いで、当然、頭金の額が多い程、月々の支払い金は少なくなります。

左奥の青いので頭金が125元から、中央のカラフルなのは頭金310元から、その右横の青と白のツートンは頭金200元からの残金分割払いにして、それぞれ購入できます。

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実際スピードはモデルによって違い、25~60km/h。

バッテリーの出力持続は使い方と季節によって違いますが、フル充電で20~40kmくらいの走行距離かな。

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電動バイクの法的規制は各省でかなり違っています。

江蘇省では電動なら何でも有りみたいにウジャウジャと走っていますが、広東省では無音で後ろから近付いて手荷物を奪う犯罪がとても多いので、エンジンタイプも含めて、二輪車は全て規制の対象にされています。

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なのに、電動バイクを専門の店舗が堂々とに販売していますし、江蘇省ほど多くではありませんが走っています。

(因みに、広東省では許可を受けてもエンジンバイクは125ccまでです)

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チューンアップやデコレーションをするショップも在って、出力を上げたり、バッテリーを増設したり、カラフルなLIDライトで眩く点滅デコさせたり、ロングダンパーやサスペンションを強化してタイヤを太くするような、外観デザイン自体の改造変形もしてくれます。

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多少の洪水でも走れます。

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防寒対策の専用風除けが売られています。

フルフェイスのヘルメットは安全意識より寒さ対策で被られています。

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よくコートやジャケットを表後ろを逆に着て寒風の入りを防いでいますが、うなじや背中が冷えないのでしょうか?

見た目はダサイですが、気にしてないですし、これは文化です。

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雨露を防ぐ雨天用のポンチョは、ヘッドライトを含むフロントファリングからハンドルにサイドミラーと電動バイクのフロントをほぼ全面に覆い、後方はタンデムの人に被せてシートの後端まで完全の覆う大きさです。

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冬季の防寒前盾の上から被せる事ができて、前面からの風雨で濡れたり、凹んだシートに溜まる雨滴が染みて来る事も有りません。

基本は三人用ですね。

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ただ、雨露を防ぐ目的は確実に果たしているのですが、事故などの生死に係わる緊急時に速やか且つ安全に愛車から脱出・離脱でき難いという、重大な欠点が有ります。

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頭から被り顔を出すだけのポンチョですが、予期せぬ瞬間的な力で頭が抜けなかった場合、事故る愛車に引き摺られるままに潰されてしまい、大怪我を負ったり、命を失ったりしますので、それ故の覚悟が必要でしょう。

また、体の前後に垂れる裾を引き摺るくらいの大きなポンチョは、とても歩き辛いです。

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寒さや雨を防ぐワイパー付きのハードトップというより、フルカバーの三輪タイプが増えて来ています。

これの四輪タイプも見掛けますが、いずれも自転車扱いなので無免許でOKです。

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三輪タイプと四輪タイプは荷台仕様でも全てバックができます。

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前面に透明スクリーンと雨と陽射しを防ぐオプションルーフを取り付けています。

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オプションルーフは、広げたり縮めたりできます。

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こちらは折り畳みができない雨天用ルーフ。

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八月初めの夕方に見掛けたアマガエル顔の電動トライカーです。

大きめなサイズですが、これも免許がいらないそうです。

勿論、エンジン仕様の大型トライカーも爆音を響かせて走っています。

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他にも、全体を御椀を伏せたような透明キャノピー仕様の四輪タイプを見ましたが、そんなのを何処で製作して、いくらで販売しているのでしょうね?

まあ、大勢とは違った事がしたいカブいている人はソコソコいるのですが、チマチマ走りが恥ずかしいのと低車高過ぎて危ない所為で、誰もマリオカートみたいのには乗っていませんね。

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充電は家庭のコンセント(中国は200ボルト/フル充電には一晩)から専用充電器を使って行えますし、それに有料の充電設備が町中のコンビニなどの店や小さな村の雑貨屋にも脇に接地されていて、普通は急速充電(10分間くらい)が安価な1元ででき、辺鄙な場所を長時間走らない限りバッテリー切れの心配は有りません。

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(バッテリーは着脱式でないので、充電場所によっては延長コードが必要になります)

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これは、電動バイクの簡易修理店です。

パンク修理、バッテリーの充電や交換、モーターや車体のメンテナンスなどを有料で依頼できます。

毎日、朝七時前から開店している個人の出張店で、歩道の角隅を勝手(たぶん、地域の警察に認可されていると思う)占居して営業しています。

街灯のポールに設置している二つの充電器の電源は、何処から取っているのだろう?

*この簡易修理店は、ポールの充電器設備を残して2017年3月末に治安警察に依って撤去されました。

(残された充電器が使えるとすれば、その売り上げ金は何処の誰が回収しているのでしょうね?)

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このような簡易修理店や便利屋は、毎日、中心街を除く市内のあちらこちらの勝手に占居している場所で営業しています。

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このキオスクにもワンコイン充電器が二つ置かれています。

店前に停めてある紺色の電動バイクは足漕ぎ兼用タイプで、バッテリーが無くなれば、自転車として充電設備へと人力走行できます。

(この足漕ぎ兼用タイプは安価で、1800元前後で販売されていますが、もっと安い1500元以下のも出て来ました)

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こちらは、ショッピングモール脇に設置されているワンコイン充電器です。

このように有料の簡易充電器は市内、郊外を問わずに、いたるところに有って、充電インフラの充実が図られています。

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新しい機種は全て輸出先での各国の二輪車輌の保安基準に適合する各装置を有しての、日本円で、25000円から85000円ほどの価格です。

それに比べて日本では、アシスト自転車や足漕ぎ兼用タイプの電動バイクでも、悲しくなるくらいに10万円以上とか、20万円以上とか、非常に高価ですよね。

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故に非常に多くの人達が乗り回していて、車道と歩道の見境なく、逆走、無灯火、ウインカーの使用無し、信号無視は当たり前の如くです。

乗車する人数は1人から4人、更に足許に犬が伏せていのも見ます。

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気を抜いて歩道を歩いていると、後ろから真横を擦れ擦れに通って行く電動バイクに驚かされて、強盗殺人が多い広東省で禁止されるのは、当然だと身の危険で知らされます。

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当然、傍若無人の走行による車や人や電動バイクとの接触事故は多いです。

ですが、その数の多さに比べて事故は少ないと感じています。

その理由として、中国社会の日常的な予測できない行動から危険が有るという前提の防衛運転を意識しているからだと考えます。

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路面や混雑する交通状態から非情に自己責任のリスクが高いと思うのですが、簡易セグウェイみたいのや、その1輪タイプ、電動スケボー、ローラースケートで通勤する人は多いです。

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信号待ちをしている小学生が運転するセグウェイ。

兄が弟に操作を教えているらしく、隣に赤い上着を着てチャリで随伴しているのは、お父さんのようでした。

流石に小中学生が公道を走行させるのは違法で、罰金は200元です。

歩道で横断歩道の信号が変わるのを待つ人達に、『街中で子供に運転させるのは、危ないから止めなさい』と、注意されていたけれど、完全無視して行っちゃいました。

セグウェイは体重移動の操作と車体反応のレスポンスに僅かなタイムラグが有って、敏捷な方向転換はハンドルで行えますが、急ブレーキは操作性とイレギュラーへ反応する体の姿勢から難しいですね。

道路交通の法規と標識は、幼稚園から教えなくてはなりませんが、小学校からは歩行者や自転車走行からだけでなく、更なる路上の危険性を察知させる為にも、自動車運転者側の法規や状態を教える必要が有るでしょう。

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横断歩道を塞いで俺様駐輪した電動バイクを強制撤去中です。

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 弊社工場の駐輪場です。

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狭い道では自動車の運転手が、車道にいる人や近くを走る電動バイクへ自分が通るから接近するなと、クラクションを通り過ぎるまで鳴らし続けます。

これは、クラクションを鳴らされているのが、自分だと気付かない人や電動バイクが多いからです。

気付かない、周囲に配慮しない、気配りが無い、察しが無い、それは、この国では普通の事で、老若男女、学歴の高低、生活レベル、地域性など、一切関係有りません。

電動バイクライダー達は道交法を知らないので、自動車のドライバーは交差点の信号が青色でも、赤信号側に電動バイクを見ると、その動きを警戒してクラクションを鳴らして減速しています。

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歩道を走る電動バイクも前を歩く人へ、クラクションを鳴らして避けさせます。

これも、突然に予測できない動きをする人が多い所為です。

『俺物語』より『俺様物語』の人ばかりですので、とても気を付けなければなりません。

この『俺様物語』、他人ばかりではなくて、悲しい事に自分もそうだと気付けてない人が非常に多いです。

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交通事故には非常に気を付けなければなりません。

電動バイクに乗る人の殆どが、公的機関や民間の自動車損害賠償責任保険(自賠責保険)に加入していません。

自分が歩行者として歩いている時に、負わされる事故や負わしてしまった事故の怪我や破損の賠償は、大抵は折半になるか、交通弱者の歩行者としての被害者立場で少し優位な比率になるくらいです。

加速的に増加している自動車のドライバーでも、保険会社の任意保険に加入する人は、まだまだ少ないです。

医療制度が未発達なので、ほぼ全額の治療費や入院費が請求されますから、こちらへ来られる方は、海外でも適応する入院特約付きの生命保険に加入しておいて下さいませ。

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青い三輪タイプは頭金188元から、白いのは頭金108元からで、残金額を12回の分割払いにできるという意味でプライスカードに金額が記されています。

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このデザインは、人気が無いのか、ずっと走行しているのを見掛けた事は無かったのですが、業務車と他の取扱店が有りました。

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これはスクータータイプの三輪車で、後輪の独立したコイルスプリングがコーナーリングを安定させてくれそうです。

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これほど電動バイクが増えても、保証金200元で手に入るカードを翳すだけで利用できるシェア自転車が普及していても、市バス(モニターで後方視界を確認するハイブリッドバス)やタクシー(スマホアプリの配車システムが普及しているし、同様に配車できてサービスの良い白タクグループもある)の利用が減っている現象は有りません。

なぜなら、バスの市内料金は1元、タクシーの基本走行距離が10元(白タクグループは割引キャンペーンもしている)と安価だからです。

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上海で運用されているスマホのアプリで利用できる『何処でも乗れて何処でも乗り捨て』のシェアサイクルです。

イエロー、ライトブルー、グリーン、レッドとホワイトのツートンとカラーリングはカラフルです。

身近なシェアサイクルの位置がスマホの地図に表示されて、サドル下の後輪ロックを解除して利用します。目的地に着けば、其処で乗り捨てOKです。

デポジット(保証金)は300元で、スマホ決済され、この際にも本人確認がされます。

シェアサイクルは、ソーラーバッテリー蓄電のGPS内蔵で位置を知らせています。

これまでのロック管理するステーションの設置は不要です。

中国では携帯電話を購入する際に、顔写真と身分証明書が写真に撮られて本人確認と管理センターに登録されます。

なので、利用違反する人には罰金を課せられますが、それでも乗り捨てのマナーが悪いです。

車道や歩道塞ぎや店中への転がし乗り捨て、悪戯での全損破壊や投棄、ロックを物理的解除しての俺様利用、GPSを作動不良にして自分専用ロックを付けてしまうような盗難(マウンテンバイクが800元、ファットバイクが1500元で買えるのに)など、まだまだゴミのポイ捨て感覚の心無い人が多いですね。

だけど、このようなマナーの悪さは、日本でも同様に発生するでしょう。

この国のマナーを守れないというか、意識の無い人の割合が多いのは、圧倒的な人口の多さと道徳観念の少なさ(そもそも、して良い事なのか、悪いのか、そのボーダーが薄くて低い)の所為だと思っています。

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社会のモラル事情から防衛運転の走行スピードは遅いというより、飛ばせません。

(重量超過車による、罅割れて波打つ路面状態も関係してるし、施工不良の段差に減速ハンプも多い。それに違法駐車だらけです。歩道はタイルブロック張りが多用されていますが、デコボコして歩き難いのと勝手に店先利用や駐車場化しているので、皆は車道を歩きます)

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運転意識とマナーは、道交法を守り、互いが優先区分を認識して走行する日本とは、大違いです。

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ですが、高低差が多い日本の道路で走らす事ができれば楽で便利だと思うのですが、気軽に購入して日常生活に使用するのは難しいのでしょうか?

自転車が車道を走行しないと取り締まわれるようになった現在、法的整備基準を満たしたローパワー(定格出力0.6kWまで)の電動バイクが、道交法と走行マナーの教習を受けるだけで運転を許可されるようにならないのでしょうか?

(日本では、ローパワーの電動バイクは原付バイクと見なされて運転免許が必要で、自賠責保険の加入、軽自動車税の支払い、ヘルメットの着用が義務付けられています)

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ローパワーの電動バイクは、自転車よりも低重心で低速だから、運転免許を必要としなくても自転車より安全に走行できると考えますね。

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中国と同等な価格で販売しても、大きな経済的効果が見込まれると思うのですが……、地球温暖化問題で二酸化炭素増加防止の意味合いも有るのに、いろいろと官制や経済関係絡みで実現しないんだろうなぁ。

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PS:

昆山市で見掛けた大型バイク(エンジンタイプ)と、三輪の簡易タクシー仕様と、日本の軽自動車よりも小さい公認電動カー(普通車の運転免許が必要)です。

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深夜の閑散とした大通りを高々とエキゾースト・サウンドを響かせて、族っぽく大型バイクで走り回っているライダーもいますが、都市部ではエンジン仕様のオートバイは、殆ど走行していませんし、売れていません。

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交番の巡査が使用している警邏仕様の電動バイクです。

これでラッシュアワーに管轄の大きな交差点へ行き、交通整理をしています。

この街のお巡りさんは、誰も足漕ぎ自転車を使っていません。

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地域巡回と喧騒地区の防犯で使用している電動バギーパトロールカー。

結構カッコイイですが、このようなオープンタイプは車輌規定の厳しい日本で採用されそうにないですね。f:id:shannon-wakky:20160524235608j:plain

このタイプは、電動の三輪タクシータイプ。

無許可の白タクですが、ギルドみたいのを作っていて、半公認みたくなってます。

許可制にして登録ナンバーを付けさせている市町もあります。

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スピードメーターは出せるはずもない120km/h表示ですが、これも運転免許がいりません。

もし事故に遭われても、被害の保障は不明ですので、乗車される場合は、そのリスクの覚悟と海外でも適用される生命保険の加入をしておいて下さい。

外国人だと知られると、5元の距離を20元だと言い張るような、ぼったくりもいます。

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人力の旧車に電動機を付けて、切換えで足漕ぎ走と電動走を可能にしています。

この旧車からの改造仕様や電動三輪の簡易タクシーは、タクシーの少ない地方の中小都市に多いです。

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エンジンタイプの三輪簡易タクシー。

後面にナンバープレートが付いています。

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必ず行き先を告げて値段交渉してから乗車します。

大抵は通り名と建物(例えば、南京路の○○百貨店とか、北門路の第三市民病院とか)を言えば、狭い裏通りなどを通る近道をして行ってくれます。

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商業車仕様の三輪電動車。

座席の下にバッテリーが入っています。

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郵便局の小包の配達は足漕ぎ三輪から電動車に換わりました。

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屋台も人力曳きやエンジンの三輪より電動車仕様が多くなりました。

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路肩に設置されている四角いゴミ箱の中身を半自動で集めるゴミ収集車です。

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こちらは四角いゴミ箱とゴミ箱の設置場所を噴流水で洗浄する機能を搭載した電動車です。

半自動ゴミ収集車と噴流洗浄車は、どちらも地区単位で多数が運用されていて、毎日早朝から夕方まで定期的に周回しています。

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地域のゴミ収集施設は表通り以外の街中に点在しています。

一次回収の集積場所で、ゴミを圧縮して四角い塊にしますが、ゴミの散乱も無く、余りゴミ臭く有りません。

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これは、運転免許が必要なエレクトリック・カー。

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自動車登録番号票(ナンバープレート)が付けられています。

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後部の車体下部に駆動モーター?が見えます。

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普及し出しているエレクトリックカー。

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高速道路上を女性客を乗せて疾走するバイクタクシー。

高速道路を走るオートバイは余り見ませんが、このタンデムして安全性の無さはOKなのでしょうか?

(時々、電動バイクも走っている)

豪儀な女性客は全然余裕の感じでした。

 

参考:

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中心街で時々利用する人力三輪タクシーです。

転たり、車にぶつけれれた時の保障は、全く有りませんが、安くて地域に詳しいです。

それに、ちょっと面白くて楽しいです。

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全然、電動バイクとは違いますが、藤椅子の運び屋さんです。

藤家具の製造工場から市内各所の家具屋へ配達しています。

リヤカーを軽量な藤家具を大量に運ぶ為の改造と工夫に感心して見てました。

細かい擦り傷が付きそうですが、トラックの配送業者よりも、ずっと丁寧な扱いで運びます。

 

余談/中国のPM2.5大気汚染について:

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酷い時にはウインターホワイトの白い靄が覆って視界が百メートルほどになってしまう、粒度PM2.5の煤煙に因る大気汚染。

そんな日の朝は、輝きのない夕陽のような赤い太陽が昇ります。

大気汚染PM2.5の靄や霧は、こちらでは霧霾(ウーマイ)と呼ばれています。

白く立ち籠める霧のような淀み漂う、煤煙で汚れた大気という意味ですね。

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私が居住する江蘇省の揚子江デルタ地域では、去年(2016年)の春先から秋口まで霧霾が頻繁に発生して、秋に天高く馬肥える空を見られるまで安堵できませんでした。

そして、今年(2017年)はもっと酷くなるのかと憂いて憤っていたのですが、予想に反して発生する日が滅っ切り減って、くっきり地平線まで見える日が多くなりました。

夜空も澄み切り、春先までオリオン座や太陽系の惑星が良く見えて驚いていました。

PM2.5の大気汚染を発生させる主な原因は、自動車の排気ガスでも、火力発電所でも、練炭でも、有りません。

それは、沿岸地帯と奥地の砂漠地帯の間の山脈と高原地帯に在る無数のセメント工場と関連産業です。

主要都市の周囲の郊外に囲むように林立する高層マンション群、網の目のように整備される高速鉄道網や高速道路、増設される地方空港、各地で頻発する田畑や丘陵を平坦な更地にして工業団地に転換する開発事業、これらに大量の鉄骨、鉄筋、コンクリート、アスファルトは欠かせない建設資材です。

その建設資材の原料は山脈地帯の鉱山で採掘されて、近郊都市の環境保全設備の意識が無く、大気汚染防止設備を施さない工場で昨年まで大量に生産されていました。

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それが、計画されていた開発やインフラ整備が整え終えられ、新たな事業規模は小さくなって、大量に生産する必要が無くなってしまったのです。

それに伴いPM2.5の大気汚染が減少したのでした。

決して浄化の設備投資を徹底したからでは有りません。

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現在、高層マンション群は過剰供給の飽和状態で、建設ラッシュは過ぎていますが、その高価過ぎる価格と位置的環境の不便さで

入居者は少なく、空き部屋が目立っています。

それでも、都市を取り囲む高層マンション群構想は国家事業なので、バブル崩壊のトリガーと成りかねない販売価格の値下げが出来ない状況です。

また、地域開発事業の減少の所為で建設産業の失業者が一気に増えるのではないかと考えています。

ともあれ、大気汚染の減少と増大する電動車輌に、広大に整備されている風力とソーラーの発電設備は、パリ協定での中国のCO2削減率を以外と容易くクリアさせるかも知れませんね。

でも、バブルが弾けての経済の停滞や衰退で大不況になるは御免被りたいです。

キスチョコ・クラシック

初めてキスチョコを食べたのは、幼稚園の頃だったと思います。

親父の弟で国際航路の貨物船の機関士だった叔父さんが、七尾港や神戸港に帰港するたびに実家を訪れ、私と妹への御土産として、よくキスチョコを持って来てくれていました。

そのキスチョコは、日本のチョコレートとは違う甘さが気に入って、直ぐに好きになりました。

けれど、たくさん食べると鼻血を出すとかで、毎日の食べる数は袋ごと保管する母と祖母によって、ずっと制限されていました。

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叔父さんは年に二度くらいしか実家へ寄らず、また航路によっては寄港先にキスチョコが無くて、持って来ない時も有りましたが、中学三年生ごろまで続いたキスチョコの御土産を、いつも心待ちにしていました。

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その後は、そのキスチョコの味覚が忘れられずに、大手デパートや量販店やインポート食料品店などへ行くたびに探していましたが、有りませんでした。

中国に常駐してからも、大都市や香港のショッピングモールで探しましたが、見付かるのはどれも新パッケージで味が違います。

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四輪駆動の大きなレンタカーを自損事故してしまったハワイ島でも探しましたが、立ち寄った店では取り扱っていなかっただけなのか、見付けられませんでした。

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それが、一時帰国時に会員になったコストコで、とうとうノスタルジーのキスチョコを見付けたのです。

探していたのは、キスチョコのミルクチョコレートでクラシック(伝統的)なパッケージのモノ。

甘さと味は、思い出のイメージのままでした。

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でも、袋に入っている量が半端なく、330個入りで重さが56オンス(1ounceが28.53gなので、1.58㎏)も有り、アメリカの商品だと実感します。

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ミルクチョコレート名は新パッケージにも有って、紛らわしいので勝手にキスチョコ・クラシックと呼んでます。

パッケージを開くと、日本のチョコレートと違うキスチョコ独特のミルク臭が香ります。

新パーケージとクラシックでは、味も、この個性的な臭いも、違います。

纏わり付くように漂うキスチョコの強い臭いを避ける方もいますが、クラシックの香りと味が気に入っています。

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キスチョコのメーカーはハーシーズ、ハーシーズのチョコならアメリカ兵。

ならば、アメリカ軍の基地近くでアメリカ兵の家族御用達のスーパーにも有るかもと、沖縄へ遊びに行ったついでに立ち寄った嘉手納基地前の店でも見付けました。

そこには、コストコで手に入れた大容量タイプの1/6の量(260g/55piece)で、サイズ的に御手頃な大きさの袋入りのみが有りました。

沖縄へは時々行くのですが、それまでキスチョコを探すという発想はなく、サイパンでも探していませんでした。

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兎に角、ずっと探していた思い出の味が見付かって、とても嬉しいです。

キスチョコは、変わらぬスライムみたいな形とメタリックな包み紙で天辺にフラッグのように翻る、白地にスカイブルーで KISSES® のロゴが入るリボンがキュートですね。

一時帰国する際には、必ず購入して、こちらで毎日少しづつ食べています。f:id:shannon-wakky:20160522200514j:plain

キスチョコの名の由来は、製造ラインでコンベアの何処かが擦れ動く音や、チョコをキスチョコの形に搾り出す音が『チュッ』と鳴ったり、キスしているように見えたりするからとか、キスチョコを口に入れる時の唇がキスをする時の形になるとか、言われていますが、定かでは有りません。

私的には、トレジャーハンターがダンジョンの奥深くでメタルスライム系のチョコを見付けて、感謝のキスをしてから食べるってイメージかな。

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PS:

中国のスーパーで売られているキスチョコのリボンのロゴは、青色の KISSES の文字に加えて赤色のも入ったり、中国語の『ありがとう』『甘いよ』『いいよ』『頑張れ』『愛してる』などの漢字もプリントされたりしています。

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これは、日本の正月時期に北陸で売られている、短い御神籤の言葉が記された小さな和紙を薄い餅片の中に包んでいる辻占菓子と同じ発想かもですね。