能登半島の鳳珠郡能登町真脇で発掘された縄文期の遺跡です。
栗の巨木を半分に割った柱を環状に立てた6000年前の遺構と、追込み漁で仕留めたらしい膨大な量のイルカの骨捨て場が古代考古学的に有名です。
赤漆塗りの装飾品も発見されている真脇遺跡は、まだ全体の4%しか発掘されていません。
広大な範囲が全て発掘されて研究が進めば、更に年代は遡り、より文化的な生活圏が解明されると考えられています。
真脇の地から真南へ向かうと、位山が近くに在る古代飛騨の丹生の地に、更に真南へ進むと同様な環状木柱痕が有る渥美半島の田原市保美貝塚の遺跡へと至ります。
9000年前の北海道函館垣ノ島遺跡、5500年前の青森県三内丸山遺跡、4000年前の富山県小矢部市桜町遺跡、3000年前の金沢市チカモリ遺跡、12600年前の漆の太い枝が見付かった福井県三方湖鳥浜遺跡などとは、環状巨木柱や漆塗り製品で繋がり、それらの地で発掘された遺骨には武器による傷痕が無く、戦闘跡や図柄などの記録、それに大型の武器も見付かっていません。
各地が1500~4000年間も定住し、土器の形や縄文模様に高い芸術性が有る事から、2000年前辺りまで外部が戦いを挑む気を無くすくらい、優れた有機科学的な文明と民主性が有ったのかも知れません。
これらの遺跡は、古事記に描かれる神話時代の遥か昔、12600年前の漆の栽培と8000年前に灌漑農業での稲作が行われていた超古代の文明人が営んだ越の国と日玉の国の存在を、現代に示す証なのでしょうか。